さあ、ぼちぼち仕事を始めるか。と、大層のんびりしたことを言っている私である。
 1月10日から県内私立中学校の入試が始まる。
  令和5年度埼玉県私立中学校入試応募状況(中間)
 22日からは県内私立高校入試だ。
 その間には大学入試共通テストがある。

 いよいよ受験本番。
 が、忙しくなるのは受験生や学校の先生方であって、私はいたって暇だ。

 昨日、書き残したことを書く。
 実はこっちが本題だった。
 タイトルにあるように、「余った時間をどう使うか」問題である。

 頭を使い、道具を使い、仕事の効率化を目指す。
 上手く行けば、予定より早く仕事が終わり、時間が余る。
 さて問題は、この余った時間を何に使うかである。

 決まってるじゃないか。
 別の仕事や新たな仕事に回すのだ。
 そうすれば同じ時間で2倍の仕事をこなせるじゃないか。
 そこまで行かなくても20%増し、30%増しの仕事をこなすことになるから、売り上げも上がるし、利益も上がる。

 と、こういう社員ばかりだったら、経営者は嬉しい。

 では、さらに工夫に工夫を重ねて、さらなる時短に成功したら、どうする。
 そこでも余った時間を別の仕事に投入する。

 経営者が泣いて喜ぶ、労働者の鑑だ。

 だが、時短して余らした時間を次の仕事へ、また時短して次の仕事へと繰り返したとしたら、永遠に多忙であり、いつになっても暇にならないではないか。
 いや、それが生きがいなのだ。
 それが幸せなのだ。
 充実した人生とはこのことだ。
 なんだ。そういうことか。だったらいい。
 生涯多忙してなさい。

 ただ一方には、余った時間は仕事に回さないという考え方もあると思うんだが、どうか。
 余った時間は食う、寝る、遊ぶ。
 せっかく自分の努力と工夫で時間を余らせたんだから、それは自分個人のために好きに使う。
 仕事はちゃんとやったのだから、それでいいじゃないか。

 たまにはぶらりと旅に出てみたい。
 本も読みたい。
 芸術にも触れてみたい。

 でも、時間が余る度に、それを全部別の仕事にぶち込むような生活をしていたら、一生そんな機会は訪れないだろう。

 私の周りには、60代70代の「元・昭和のサラリーマン」が大勢いるが、長い長い人生の休暇を持て余しているように見える。
 一生懸命、手帳に予定を書き込み、多忙な自分を確認しようとしている。
 おそらく、余った時間を自分のために好き勝手に使う経験をしてこなかったのだろう。
 もちろん全部が全部そういう人ばかりではない。私の視界の範囲にはそういう人が多いという話だ。

 時短の目標とは何か。
 仕事効率化の目的とは何か。

 もっと仕事をするためというのも一つの答えには違いないが、時間を余らして(生み出して)、それを自分のために使うためというのも正解の一つとして認めてもいいだろう。
 たとえ10分20分であっても、今日の、この僅かな時間は、悪いけど自分のためだけに使わせてもらうぜ。
 ただ忙しく働くだけでは、発想が固定化し、アイディアも枯渇し、ひどい場合は、心を病んでしまうかもしれない。
 余った時間の使い道をもう一度考え直してみよう。