高校受験生を持つ知り合いからの質問。
「残り時間が少なくなり本人、かなり焦っているようです。本番までに何をやらせるのが一番効果的ですか?」
答え。
「塾や学校の先生に聞いてください」。
と、無責任な回答。
しかし、日頃、受験情報誌などで受験生向けアドバイスを書いているくせに、こんな答えでいいのか。
はい、いいです。
その子の実力や性格、そして志望校。そういう個別的な情報がないと的確なアドバイスはできない。
その点、塾や学校の先生はその子のことを熟知しているわけだし、継続的に指導してきているから、個別最適なアドバイスが可能だ。
だから、信じるなら普段習っている先生に決まってるじゃないか。
でも、せっかく聞いてきたんだから、もうちょっと実のある、というか、ありそうなアドバイスをしておこうじゃないか。
「大事だと思うことからやりなさい」
これが私の答えである。
このように言うと、「その、大事なことが分からないんです」と聞き返されそうだ。
だったら、「自分にとって大事だと思うことからやりなさい」と修正しよう。
それでも分からなかったら、「もし明日が試験だったら、今日何をやるか。それがあなたにとっての一番大事なことなのだ」と言い添えよう。
ただ、明日と言われたら、もう観念して何もやらず寝るという選択もでてきそうから、3日後とか5日後とか1週間後くらいとしたほうが現実的かもしれない。
机に向かったら、3日後が試験だったら今から何をやろうかと考え、思いついたことを実行する。
明日も明後日も同じことを繰り返す。
試験では大事なところが出る。
先生が「ここは大事」と言ったところが出る。
が、百発百中とは言い切れない。
「それほど大事ではない」ところが出ることだってある。
試験には、ふたを開けてみなければ分からない予測不能な部分があるものだ。
だったら、自分が大事と思ったところをやるしかないじゃないか。
「腹をくくる」という言い方がある。
試験では、とても重要なことだ。
自分にとって大事だと思ったところをやった結果、それが出ないことだってある。
でも、その判断も含めて自分の実力なのだからそれでいいではないか。
そう考える。
何となく「山を張る(山をかける)」のとは違うぞ。
そこには自分の意志というものが入っていない。
仮に当たった場合でも、「まぐれ当たり」と言われる。
「まぐれ当たり」には再現性がない。
もう一度当ててみろと言われても出来ない。
だから、それと一緒にしてはいけない。
ここで冒頭の質問を振り返ってみよう。
「本人、かなり焦っているようです」。
ポイントはここ。
親として適切なアドバイスをしてやらなければという気持ちになるのも分からなくはない。
だが、ここで求められているのは学習アドバイスではない。
「かなり焦っているよう」だと思っているなら、そういう不安な気持ちを少しでも聞いてやるのが一番いい。
不安なときや迷っているとき、それを言葉に出して誰かに言ったら、多少は緩和されたという経験、誰でもあるでしょう。
今はそういう場面だよ。
というのが、質問者(親)への私からのアドバイスだ。
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