マスクなし卒業式について政府が得意の検討に入っている。
 大人も子供も、日々さまざまなシーンを体験するわけだが、その中で、なぜ卒業式なのか。
 
 振り返ればコロナ対策は、学校臨時休業から始まった。
 あれは実に唐突だった。
 が、こいつは大ごとだぞと世間に印象づける効果はあった。
 とすれば、今度はその逆だ。
 いい加減マスクはずそうぜ。
 そういう雰囲気を作るには、まずは学校から。
 おっ、ちょうどいい具合に卒業式があるじゃないか。
 これを利用しよう。

 連休明けに「2類」から「5類」へ移行することだし、世の中のムードを作って行かなければならない。
 卒業式や入学式といったイベントはマスコミが取り上げるので注目度が高い。
 そこで生徒たちが、マスク無しで校歌を歌っている姿が映されれば、「そうか。もうマスク無しでいいんだ」という印象が伝わる。
 校歌にはそのような効果がある。

◆本音はマスク無しだが、微妙な言い方
 政府は「マスク着用を推奨しない」という方向で検討しているらしい。
 しかし、この「推奨しない」というのは何とも絶妙な表現だ。
 推さない。
 奨めない。
 どうせなら、もう一歩踏み込んで「マスク着用を求めない」ぐらいまで言ってくれるといいのだが、そこまで言うと「そうか。要らないんだ」と受け取る人が多くなる。
 別に不要とは言っていなくて、要求はしないと言っているだけなのだが、それでも「政府や教育委員会が要らないって言ったじゃないか」と文句を言う人が出てくる可能性がある。

 政府が「マスク着用を推奨しない」という方向を決めれば、同じ文言が文科省から教育委員会というルートで、各公立学校に伝えられるだろう。
 私立学校については教育委員会の管轄外なので、都道府県の機関を通じて伝えられるだろう。

◆子供たちはどんな卒業式を望んでいるか
 さて、学校はどうする。
 一番安易なのは、そのまま「マスク着用を推奨しない」と、児童生徒や保護者に伝えればいいわけだが、それでは納得しないだろう。
 どっちかに決めてくれという声が上がってくる。
 自由にさせろと言う一方で、いざとなると自分で判断できない人間が大勢いるのだ。
 そういう人間相手に「推奨しない」なんて中途半端は表現が通じるはずがない。
 困ったことだ。

 基本的にはマスク着用は求めない。強制しない。
 卒業式に大声を出す場面も、隣同士おしゃべりする場面もないから、それでいいだろう。
 発声するとしたら、呼名のときと、国家斉唱・校歌斉唱のときくらいか。
 万一感染しても、明日からもう学校はない。

 大事なのは、子供たちがどういう卒業式を望んでいるか、だ。
 一般に卒業式は、学習指導要領「特別活動」に定める「儀式的行事」の一環として実施されている。
 指導要領には「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」などいくつかの定めはあるものの、具体的内容については学校に任されている。

 私は直接子供たちを指導する立場にはないので、かれらがどういう思いでいるかは分からない。
 マスク有りで入った学校だから、そのままマスク有りで出たいのか。
 それとも、最後はマスク無しでお別れしたいのか。
 かれらの思いに一番近い形で実施してやるのがいいだろう。