一昨日、校長先生の入学式式辞を眺めていたのだが、なかなか難しいものだと思った。
 仏教の言葉に「対機説法」がある。
 人を見て法を説けである。
 生徒のレベルに合わせて話さなければ何も伝わらない。

 超進学校に入学してきた生徒に大谷翔平選手の逸話はそぐわないだろう。
 目指すところが違うもの。
 工業高校で本田宗一郎、商業高校で渋沢栄一はまあ分かる。
 学力も低く、生活習慣も身に付いていない子たちには、まずは時間を守りましょう。
 目的意識が明確ではない子たちには、夢を持ちましょう。
 というわけで、いま目の前にいる生徒に合わせて話をしなければならないのである。

 今回読んだ中で印象に残ったのは、伊奈学園・浅賀敏行校長の式辞だ。
 ニーチェの永遠回帰を取り上げている。
 ジンメルも登場する。
 伊奈学園はニーチェを持ち出しても通じる最低ラインか。
 校長は、人生は分かれ道の連続であり、その都度それが永遠回帰であっても肯定できる決断をせよと説く。
 私はこれを5回ほど繰り返し読んだ。
 令和5年度伊奈学園入学式校長式辞 浅賀敏行校長

 上尾南の秋元俊一校長の式辞は抜粋であるのが残念だが、これも印象に残る話だ。
 遠藤周作の「影に対して」という作品から説き起こしている。
 「アスファルトの道」と「砂浜の道」があり、アスファルトの道は安全で誰でも歩くが、振り返っても足跡は残っていない。対して砂浜の道は歩きにくいが足跡が一つ一つ残っている。何かに挑むときは砂浜の道を選んでほしいという話。
 上手い。座布団三枚。
 どこかで使わせてもらおう。
令和5年度上尾南入学式校長式辞 秋元俊一校長

◆定番、失敗を恐れるな
 挑戦(チャレンジ)せよ、失敗を恐れるなという話は結構多かったと思う。
 まあ、そのとおり。
 
 だが校長なんてものは、ほとんど失敗しなかった人がなるものだ。
 一番安全運転してきた人。
 そういう人に、失敗してもいい、失敗を恐れるな、だめなら何度でも挑戦すればいいと言われても、いまいち響いてこないというのはある。

 ここは一つ、身をもって、失敗を恐れず挑戦し続ける人生というものを見せてもらおうじゃないか。
 期待してるぜ。

 ついでにもう一つお願いしておこう。
 挑戦が大事と言うなら、これでもかというくらい挑戦の機会と場を作ってやってほしい。
 なに、かれらは好奇心旺盛な年ごろだから、そういう機会や場があれば、放っておいても試してみるさ。

 意味が無い、馬鹿げている、危険だ。
 そういうクレームやバッシングを受けるかもしれないが、そこは体を張って生徒を守る。
 そりゃそうだ。だって、失敗を恐れるな、挑戦しろって自分で言い出したんだからな。