昨日、浦高説明会を途中退場したのは、昔担任した卒業生のクラス会に参加するためであった。
 私が教えた元生徒たちの多くは、「アラ還」すなわち60歳前後である。
 昨日の元生徒たちも今年59歳。
 なので、定年にまつわる話が多かった。
 もう少しすると、あそこが悪いここが悪いと病気がらみの話題が中心となるだろう。

 高校時代の勉強の話はほとんど出ない。
 「先生にナニ習いましたっけ」とか言いやがる。
 うるせえ、こっちも覚えてねえ。
 たぶん、政経か世界史か日本史だろう。
 数学や英語じゃないのは確かだ。

 授業のことはまるで覚えていないくせに、体育祭や文化祭や修学旅行や球技大会と行事のことはよく覚えている。
 まあ自分のことを思い返しても、同じようなものだから仕方ないか。

 だが、そうなると、毎日夜遅くまで準備して臨んだあの授業は一体何だったのかとなる。
 何にも覚えていないということは、あれは無意味だったのか。
 いささか残念な気持ちになる。

 だが、よくよく考えてみれば、それでいいのである。

 料理(食事)のことを考えみよう。
 ハンバーグを食った。
 咀嚼して胃の中に入った瞬間、それはもうハンバーグではなくなる。
 そして栄養分だけが吸収され、それ以外は体外に排泄される。
 つまり、元ハンバーグは、分解され変質し行動の源になった。
 少し大袈裟に言えば、成長にはつながった。
 だが、食った本人は、それがハンバーグのおかげかどうかなど考えない。
 そもそもハンバーグを食ったことすら数日すれば忘れてしまうのだ。

 授業も似たようなものだ。
 どんな授業だったかは忘れてしまう。
 しかし、それは、確かに行動や思考のためのエネルギーにはなった。
 もしかしたら成長にもつながった。
 だが、元の姿までは覚えていない。

 というわけで、彼ら元生徒たちが40年前に何を食ったかなど覚えているはずがないのだ。
 こっちも何を食わせたか覚えていない。

 ブログをお読みの現役教員の皆さん。
 何十年か後に、元生徒と再会することがあるだろう。
 その時、彼らは授業のことなんぞ、これっぽっちも覚えちゃいないだろう。
 が、それでいいのだ。
 もしハンバーグや唐揚げのまま記憶されているとすれば、それは消化不良ということなのだ。