基本的に学校は誉める。
 これが、私のスタンスである。
 営業政策という面もある。
 が、それよりも、悪いところばかり目を付けて、ああだこうだと批判するのはあまりいい気分じゃないからだ。
 
 で、こういうスタイルで投稿したり、発言したりしていると、時々勘違いする輩が現れる。
 その学校や先生のある部分を捉えて、これはいいと言っているのに、それとはまったく異なる事象を取り上げて、だからダメだと言ってくるのだ。
 頭、大丈夫か。

 たとえば、この先生の、この授業のこの部分は素晴らしいと誉めたとする。
 すると、「学力が伸びてないじゃないか」「進学実績が出ていないじゃないか」と突っかかってくる。
 はては、あいつはこんな人間だから許せないなどと人格攻撃までしてくる。
 そんな話してないだろう。
 授業スキルの話だ。
 
 その先生のすべてがいいと言っているわけではないし、その学校のすべてがいいと言っているわけでもない。
 それとも何か、一つでも欠点があったら、その人の長所を褒めてはいけないとでも言うのか。
 話にならんな。

 人を善か悪かでしか見られない人間。
 ものごとを0か100かでしか判断できない人間。
 一体どうやったら、こんな人間が出来上がるのか。

 年端のいかない小学校低学年児童なら、まあ仕方ない。
 思春期の若者たちも、経験が不足しているし、精神的に不安定なところもあるから、まあまあ許そう。
 だが、いい大人になって、部分と全体を分けて考えられないとか、人と行動を切り離して考えられないとなると、もう手に負えない。

 もしかしたら、そういう人は、「あなたのここは素晴らしい」「あなたのその考えは素晴らしい」「あなたのあの時のあの行動は素晴らしい」というように、場面場面で具体的に褒められたり認められたりすることなく生きてきたのかもしれない。
 自分自身にそういう経験がなけりゃ、他人に対して同じことはできないよな。

 私はその道の専門家ではないので、多分に当てずっぽうであるが、この「部分を具体的に、できれば理由を添えて誉めたり認めたりする」大人が周りにいるかどうかは、かなり重要ではないかと思うのである。

 人を悪口ばかり言い、あら捜しする、何か一つでも不満があれば全否定し、はては人格攻撃に走る。
 きっと、褒められ認められる機会が得られないまま大人になったのだろう。

 自身への戒めも込めて言うが、先生方も生徒に指導する際には十分注意しよう。
 遅刻した生徒に、「な、結局そこなんだよ。そういう態度が全部をダメにしてるんだ」って、そうじゃないね。
 一回遅刻したからって人間性まで否定されたんじゃ、生徒もたまらん。
 そういう指導をされた子は、そういう大人になるからね。