麻生太郎氏の地元講演会での発言が問題になった。
 マスコミは、麻生氏のことだから何かしら問題化できる発言をするに違いないと、日頃からこうした内輪の会にも張り付いているのだろう。
 ご苦労さん。

 で、麻生氏は意識してかどうかは分からんが、上川外相を上村と言い違えたり、「そんなに美しい方とは言わんけれど」「あのおばさん」などと言い、ネタを提供した。
 全体としては有能な外務大臣であると大いに持ち上げる発言となっているのだが、マスコミとしてはそんなことはどうでもいい。むしろ岸田内閣の閣僚は全員無能であって欲しいのだ。
 上川外相は優秀。次の総理総裁候補の一人。
 これでは記事にならんから、世間が食いつきそうな部分をお得意の「切り取り」でクローズアップしてみせた。
 そして案の定、結構な騒ぎとなった。
 マスコミ的には大成功。
 
 テレビコメンテーターなどが攻撃したのは麻生氏だけではなかった。
 「美しい方とは言えないおばさん」呼ばわりされても、それを軽く受け流した上川氏にも及んだ。
 もっと怒るべきだ、抗議すべきだ、と。
 面倒な連中だな、と思ったりもするが、彼らとてテレビ制作者の意図を汲んでそうしているのであって、まさか本心からそう思ってるはずはあるまい。
 もっと喜ぶべきだ。
 もっと悲しむべきだ。
 もっと悔しがるべきだ。
 と、人の感情の領域に踏み込まれてもね。
 
 世の中の全てとは言わんが、テレビのバラエティなんてものはすべてが茶番だ。
 面白ければいい。
 視聴率が取れりゃいい。
 まあ、この話題の賞味期限もせいぜい1週間だろう。

 政界のことは詳しくないが、地元講演会で唐突に上川外相の名前を出した麻生氏には、なにかしら意図があるのだろう。
 その真意が明らかになるのは数か月先だ。

◆教室には審判がいない
 政治の世界の話はひとまずおく。
 ここでは、人前で話したり、人に向けて何かを書いたりする機会の多い先生方のことだ。

 極度に神経質になる必要はないが、時代の雰囲気というものは意識しておいたほうがいい。
 公の場で使ったり、職場や学校などで使うべきでない言葉がある。
 昔はそれが普通であっても、今は言い換えたほうがいい言葉もある。

 先生方が特に注意しなければならないのは、教室での発言、あるいは面談、部活など生徒指導場面での発言、言葉遣いだろう。
 生徒が目の前にいない会議や打ち合わせなどの場面では、それほど言葉を選ばなくてもいいだろう。
 それに、行き過ぎた表現や不適切な言葉遣いがあれば、「それ、ちょっと言い過ぎかも」「別の表現の方がいいかも」などと、お互い注意し合うこともできる。

 だが、教室では基本自分一人だ。
 すぐにイエローカードを出してくれる人がいない。
 教室に審判はいないのだ。
 強いて言えば、審判は生徒だ。
 
 誰か一人でも不満や不快を感じたら、その表現や言葉は使ってはいけない。
 と、さすがにこれは行き過ぎだろう。
 それでは何も言えなくなってなってしまう。

 にしても、言っている中身よりも、表現の仕方や言葉選びがきわめて重視される時代だ。
 「これで昔は問題なかった」と考えがちなベテラン先生は特に注意が必要だ
 
 と思うのだが、これとてベテラン先生への偏見だと批判にさらされるのが、昨今の世の中の雰囲気なのだ。