「本校は明治○○年創立された100年を超える伝統校です」
みたいなのを、いったん封印しようではないか。
これが本日の提案である。
われわれ記事を書く側の人間も便利なので、つい使ってしまう。
こうした決まり文句は頭を使わずに済むので有難い。
しかし、頭を使わなかった分、人の心に響かないので、これからは気を付けよう。
◆最初から最強カードを切らない
「伝統校」であることは言ってもいい。
50年だとどうか分からないが100年も経てば立派な伝統校だ。
平均寿命が80歳くらいだから、50年や60年だと生まれてから出来た学校だ。
「自分が若いころはまだなかったな」となる。
しかし、100年ともなれば、ほぼすべての日本人が生まれる前からあった学校だ。
堂々、伝統校を名乗っていい。
だが、これは最初に切るカードではない。
最後の切り札である。
というのが今回の私の主張だ。
「伝統校」が最後の切り札である理由は、歴史の浅い学校が、これからどんなに努力しても追いつき追い越すことができないからだ。
他のことなら知恵と工夫で何とかなるが、こればかりはどうしようもない。
つまり最強カード。
最強カードであるが、この1枚だけでは勝てない。
お互いカードを切り合って、一進一退の戦いが続き膠着状態となる。
そこで、「仕方ない。とっておきの1枚を切るか」と、やおら持ち出すのが最強カード。
ここで勝負あり。
◆ネガティブな印象も
伝統校という言葉は、それ自体基本プラスイメージの言葉だ。
しかし、「悪しき伝統」などと使われることもあるくらいで、必ずしもプラス面だけではない。
古臭いと受け取られるかもしれない。
威圧的な印象を持つ人もいるかもしれない。
言う方は、「すごいだろう」と思っているが、14、5歳の子供たちにとって、「はっ、それが?」という程度なのかもしれない。
そういう聞き手側に立った思考を一度してみる必要がある。
ある事柄を是とするか非とするか。
その基準は、つい最近始まったか、昔からやっていたか、ではないだろう。
そのことが、面白いか面白くないかであって、いつ誰が始めたかなど、どうでもいい。
そんな面白いことを何十年も前に気が付いていたことがスゴイ。
ずっとやり続けていることがスゴイ。
それを一言で表す言葉が「伝統」である。
◆革新なくして伝統なし
これはよく言われることなので今さら説明不要だろう。
時代に適応した者だけが生き残ったのだ。
先人たちの絶えざる革新の結果を引き継いだ者が、いま伝統を語っている。
受け取ったものを、ただそのまま受け渡すだけでは伝統を守ったとは言えない。
新しい価値を付け加えることが伝統を受け継いだ者の使命だ。
初めに言ったように「伝統」は最強カードである。
しかし、それだけに頼ってはいけない。
いったん封印してみよう。
別の武器で戦ってみて、互角かそれ以上の勝負に持ち込み、最後に必殺技として繰り出す。
これが伝統校のこれからの戦い方だ。
私自身も、これからは、何も考えず安易に「伝統」「伝統校」という言葉を使わないようにしようと思う。
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