昨日、久しぶりにスタバに入った。
 浦和じゃなく都内のだ。
 具体的には言えないが、お洒落な街にあるスタバだ。

 ふだんカフェに行くという習慣がない。
 事務所は浦和駅に近いところにあるから、スタバでもタリーズでもドトールでもベローチェでも何でもある。でも行かない。
 コーヒー高いし。

 だが、昨日は昼食の後、たまにはスタバでコーヒーでも飲もうかという話になった。
 うーん。どうかな。年寄りが行くとこじゃないだろう。それにMacも持ってないし。バックの中にパソコンは入っているが、あいにくWindowsパソコンだ。あそこはリンゴ印のパソコンしか使っちゃいけないみたいだし。

 などと言いながら店に入ってみると、やっぱりいるいる、Mac野郎が。
 まあ、ぱかっと開けた途端にオンになるし、高性能なトラックパッドは、狭いカフェのテーブルにおいて決定的な強みではある。そこは認める。あと、画面も明るく綺麗。
 ちなみに自分はWindowsもMacも両方使っている。メインはもちろんWindowsだが、仕事上の付き合いがあるデザイナーやらコピーライターやらカメラマンやら、いわゆるクリエーター連中がみんなMac派なので、仕方なく使っている。

 スタバにお似合いのリンゴ印だが、ではiPadでいいかというと、それはどうも違うようだ。あれは子供の玩具。いけてる男子、いけてる女子は、やっぱりMacブックじゃないと。

 と、いかにもジジイらしいいちゃもんであるが、これだけ多くの若者たちが、「スタバでMac」しているところをみると、単なる見せびらかし以上の何かがあると思わなければならない。

 ホワイトノイズ
 たまに目にする言葉だ。
 ノイズはただの騒音だが、ホワイトノイズには集中力を高めたり、気分をリラックスさせる効果があるらしい。安眠効果があるという説も。
 まったく音のない静寂よりも、適度な騒音があったほうが、脳が刺激され創造力を向上させる。
 スタバに限ったことではないが、カフェには人々の会話、食器の触れ合う音、低めのBGMなどホワイトノイズがある。

 サードプレイス
 文字通り第三の場所。家庭(第一)でも職場(第二)でもない第三の場所(居場所)。
 そもそもスタバのコンセプトが、サードプレイスの提供なのだ。
 ここに来れば、心理的な切り替えができる。スイッチが入る。
 日々の生活の中に、こういう場所があってもいい。

 と、話がここまでくれば、じゃあ学校は、となる。
 学校にスタバ、は作れないが、スタバ的な場所は作れる。
 ホワイトノイズが流れるサードプレイス。
 家の勉強部屋でもない、教室でも図書館でも自習室でもない、もう一つの学びの場、そして交流の場。

 学校の中に「スタバのような自習・交流スペース」があるかどうかは、生徒の満足度を左右する大きな要素なのかもしれない。すでにそれらしいスペースを確保している学校もあるが、まだの学校は、スタバ的な場所を作ることを検討してみてはどうか。