目は何のためにあるか。
それは、人の良いところを見るためにあるんだ。
耳は何のためにあるか。
それは、それがどんなに小さい声であっても、自分とは反対の意見であっても、人の話を最後まで聞くためにあるんだ。
口は何のためにあるか。
他人をほめたり、他人に感謝する言葉を述べるためにあるんだ。
君たちは、どんな使い方をしてきただろうか?
いや、その前に私自身を振り返ってみよう。他人のことは後回しだ。
私は、自分の目を人の悪いところを見ることばかりに使ってきたような気がする。
人の良いところを見るようにすれば、もっとたくさんの人と仲間になれたかもしれない。未来がもっと明るく見えたかもしれない。でも、見逃してきた。惜しいことをした。
これからは、良いところを見るために、自分の目を使おうと思う。
私は、自分の耳を人の話を聞くために使ってこなかったような気がする。
よく耳の痛い話というが、本当はそういう話こそ聞くべきだった。
小さな声が耳に入って来なかったのは、聞こうとする気持ちがなかったからだ。誰かが遠くの方で「助けて!」と言っても、私の耳には届かなかった。届いていれば救えたかもしれない。
これからは、人の話は最後まで聞こう。小さな声も聞き逃さないようにしよう。そのために自分の耳を使おうと思う。
私は、自分の口を、人をけなしたり、攻撃したりするために使ってきたような気がする。
きれいだね。面白いね。楽しいね。美味しいね。
そんな素晴らしい言葉があるのに、私の口からは出なかった。
もっと有難うと言えば良かった。そうすればもっとみんなが楽しくなれたのに。もったいないことをした。
これからは、日に十回は有難うと言おう。褒めて褒めて、褒めまくろう。そのために自分の口を使おうと思う。
私は年を取り過ぎたので、目も耳も口も衰えてきてしまった。今さら気づいても大したことはできないだろう。
その点、君たちはまだ若い。私などよりはもっと見えるし、もっと聞こえるし、もっと話せる。
つまらない使い方の先にあるのは、つまらない人生だと思う。
目と耳と口をどう使うべきか。ぜひ考えてみてほしい。
はい、お説教はここまで。では授業に入ります。
2020-02-04 at 18:18
50代の私も勉強になりました。有難うございます。
ちなみに私が意識していることの一つとして、
「自慢話」=「自分のことをもっと嫌いになってください」とアピールしたいときにする話と捉えて実践しています。