期日前投票に行ってきた。
投票日の当日、律儀に小学校の体育館へ向かうという習慣を、私はもう何年も前に捨てている。
近頃のスタンダードは、もっぱら期日前投票である。
浦和駅西口、パルコ内のコミュニティセンターが臨時の投票所となっている。
仕事の合間にちょいと行ってこられて自分的には超便利。
区役所の投票所は公示の翌日から開かれているが、浦和駅前の臨時投票所は今日から3日間だけだ。
今日は近くに行く用事があったので開始時間の11時に合わせて行ってみた。
少し早いかと思ったが、そんなことはない。15分前にはすでに長蛇の列、というのは少々大げさだが、50、60人は並んでいただろう。
浦和には老人しかいないのか。そう思わせるほど、見渡す限り、並んでいるのは「お年寄り」ばかり。
(自分もだが)
少し前に、ベビーカーを押した若いお母さんがいたが、浮いてたな。
まあ、平日の午前中にこんな場所にいられるのは、無職の年寄りか、私のような自由業の人間くらいなものだ。
この臨時投票所の開設時間は午前11時から午後7時までだという。
駅前という一等地にありながら、この時間設定は何なのだろうか。
朝、出勤前に一票を投じたいサラリーマンも、講義前に立ち寄りたい学生も、これでは門前払いだ。
区役所まで行けば朝8時半から開いているというが、わざわざ足を運ばせる手間を強いている時点で、現役世代の参加など端から期待していないのではないか。
この国の「民主主義」という装置は、暇を持て余した我々高齢者のリズムに合わせて回っているのだ。
そして、さらに滑稽なのは、一見厳格そうでありながら、その実はガバガバな投票システムだということだ。
ネット投票の議論になると、必ず「本人確認はどうするのか」「なりすましを防げるのか」という反対論が噴出する。
だが、現行のアナログ投票はどうだ。私は今回、郵送されてきた整理券を提示しただけで、何の疑いもなく投票用紙を渡された。写真付きの身分証明書の提示を求められることもなければ、指紋を照合されることもない。
極端な話、この整理券を誰かに譲り、代わりに投票してもらうことだって物理的には可能だ。性別や年齢が極端に違えば怪しまれるだろうが、住所・氏名・生年月日が書かれただけの紙切れに、一体どれほどの証明力があるというのか。紛失しても「本人だ」と言い張れば再発行して投票できるというのだから、もはや法治国家ならぬ放置国家だ。
ハッカーの脅威を盾にネット投票を拒む人々は、このザル同然の現状をどう説明するつもりなのだろうか。
「本人が、投票所で、自筆で書く」というスタイルを聖域化するあまり、技術革新から目を背けている間に、開票作業には膨大な人件費と税金が投入され続けている。
オンライン化すれば一瞬で終わる作業に、なぜこれほどの儀式が必要なのか。
そして、この「形式ばかりの厳格さ」は、選挙運動そのものにも毒を回している。
私が子供の頃の記憶をたどれば、選挙運動はもっと泥臭く、もっと「人間臭い」ものだった。
もちろん、金銭の授受や度を超した接待は論外だが、今の公職選挙法はあまりに潔癖が過ぎはしないか。
あれはダメ、これもダメと、立候補予定者の行動や言動をがんじがらめに縛り上げる。
事前運動への規制が厳格化された結果、政治家が語るべき言葉は「公約」という名の無機質なスローガンに収束し、有権者との接点は失われた。
公正さを追求するのは結構だが、細かな規制は、政治を「面白くないもの」に変え、人々を政治から遠ざける一因になっている。
なりすましが可能な、ガバガバな本人確認を温存する一方で、立候補者の言論や活動には顕微鏡を覗くような厳格さを求める。
このチグハグな構造は、日本型民主主義の歪みそのものである。
ネット投票が実現すれば、投票率は飛躍的に上がるだろう。
ハッカーとのいたちごっこになるのは明白で、そのための超強力システム構築には相応のコストが必要だろう。
だが、現在の選挙にかけられている膨大な無駄に比べれば安いものだ。
必要なのは技術ではない。
古臭い「自書」へのこだわり、形式美を重んじる公職選挙法という呪縛を断ち切る勇気があればいい。
が、それを決める政治家たち自身が、この「お年寄りによる、お年寄りのための、昔ながらのアナログな儀式」によって選ばれているのだから、事態は絶望的である。

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