異なる業界の人との交流は重要だ。
 私の場合、放っておくと相手は、先生だけとなる。
 学校の先生、塾の先生、その他受験関係者のみとの交流。

 まあ、仕事的にはこれで困ることはない。 
 それに、元々人づきあいが苦手だし、好きじゃない。
 喋るのも面倒だ。
 このまま誰とも付き合わず人生終わったところで、どうってことない。

 が、そうは言っても、ちょっとくらいは他の世界の人々と交流したほうがいい。
 今さらそれで成長するとは思えないが、退化のペースを少しは遅らせられるかもしれない。
 というわけで、畑の異なる人々とも細々とお付き合いをしているのである。

 と、ここまでが前フリ。

 つい最近会った人は、私とは異なる業界・職種で、仕事的な接点はまったくない。
 で、相手は、私の仕事内容を薄々知っているので、気を利かして教育がらみの話題を振ってきた。
 曰く「学校の先生は本当によくやってくれる」「感謝している」「頭が下がる」。

 どうやら、子供がいろいろ問題を抱えているようだ。
 それに対し先生は、親にも出来ないことを時間をかけ粘り強くやってくれている。
 先生の指導で子供自身も親も救われている。

 話を聞いた私は、そうだろうと思った。
 先生というのはそういうものだ。
 別に感謝されようと思ってやっているわけではあるまい。
 使命感だ。
 プロ根性だ。「先生魂」だ。
 私の周りは、そんな連中ばっかりだ。

 が、同席していた他の人達の反応は違った。
 「へえ、今どきそんな先生いるんだ」
 セクハラ。
 パワハラ。
 体罰。
 いじめ。
 不登校。
 ブラック職場。
 等々、マスコミ報道で知った学校像、先生像を元に、学校批判・先生批判の大合唱となるのであった。

 「それって、特殊な現象でしょう」
 って、おまえら何にも分かっちゃいないな。

 いいか。マスコミっていうのは、特別や特殊ということに価値を見出すんだ。
 当たり前に行われていることには報道価値がないんだよ。
 先生が子供のために一生懸命なのは、当たり前過ぎて、記事にならないんだ。
 と、説教くれてやるんだが、あまり効いてはいないようだ。

 私は末端ではあるが新聞やテレビとつながっている。
 だから、彼らの気持ちもちょっとは分かる。
 人の揚げ足取って、そんなに面白いか。
 悪口書いて楽しいか。
 わが子に誇りを持って自分の仕事を語れるか。
 そう思ったりもするが、彼らは彼らなりの使命感を持ってやっているのだろう。

 マスコミ報道に期待できないとしたら、自分達でやるしかない。
 私は、学校ホームページやSNSなどでは、「特別」こだわる必要はないと考えている。
 先生方にとって、何気ない、当たり前の学校の日常を、コツコツと伝える。
 これは絶対にマスコミがやってくれないことだ。

 よく先生方から、「毎日発信したいがネタが続かない」と言われる。
 しかし、これがもうマスコミ的発想に染まっているのだ。
 
 「今日も一人の怪我や病気もなく、生徒も先生も無事に一日を終えました」
 極端な話をすれば、これが学校が発信すべきニュース。
 「大怪我した」「病人が大勢出た」
 これが、マスコミが発信すべきニュース。

 瞬間のインパクトには欠けるが、ありふれた日常をサスティナブル(持続的に)に伝えて行く。
 これもまた学校ホームページやSNSのあり方である。