どうも引っかかる言葉があったので、その話題を取り上げてみる。
元ネタはこちら。
「戦争をかぶった言葉…」統合新学校名に住民グループ異論 署名運動に発展 51年ぶり市に直接請求へ
鳥取県倉吉市で、二つの小学校が統合してできる新校の名称をめぐり、住民運動が起きているというニュース。
よくある話。
新名称は公募されたのだが、応募数の約半数を占めた最多の案ではなく、応募数がたった一票だった「至誠」という案が採択された。
これまた、よくある話。
だったら、最初から公募なんてするなよということだが、現代の地域行政では形式上、広く案を募るというプロセスは欠かせないようだ。
後々、住民や関係者の意見を聞かず勝手に決めたと言われないためのアリバイ作りのようなものだが、さすがに一票では、住民や関係者の意見を無視した証拠にはなっても、アリバイにはなるまい。
それはさておき、私の引っ掛かりポイントはそこではない。
見出しにもある「戦争をかぶった言葉」というやつだ。
「戦争をかぶる」。
知らんな。
もしかすると、いわゆる左翼界隈ではよく使われている言葉なのかもしれないが、私は初見だ。
見たのも聞いたのも初めて。
記事を引用すると、住民運動の代表者は、「私は満州で生まれて、戦争を体験してきました。父親はロシアの兵隊に殺されました。びっくりしました、この『至誠』という言葉は、戦争をかぶった言葉です。この名前を付けると、これから日本の子どもたちが戦争に取られちゃうって、そういう思いが大げさではなく心配です」と述べている。
最近の若い世代は、「かぶる」をよく使う。
帽子をかぶるの「かぶる」ではなく、服装などで友達同士、色が同じだったりすると、着ている服の色が重なるという意味で「かぶる」を使う。
テレビで芸能人が「ネタがかぶる」などとやって広まったのだろう。
そこから推測すると、「戦争をかぶった」は「戦争をかぶる」、つまり戦争と重なるという意味合いだと思われるが、なにせ初見なのでよく分からない。
本人がそう言ったとしても、新聞ではもうちょっと一般に分かる言葉に書き換えてもらいたいものだ。
それとも、「戦争をかぶった言葉」という言葉を流行らせたいのか。
この方は「満州で生まれて」というから、かなりの高齢と思われる。
「父親はロシアの兵隊に殺されました」とあるが、ロシア(旧ソ連)の満州侵攻は終戦の年、1945年であるから、それ以前の生まれだ。「戦争を体験してきました」と言うからには、もっと前、1940年前後の生まれかもしれない。ということは、どんなに若くても70代後半、おそらくは80歳以上。
令和生まれの若い世代が通う学校なのだから、年寄りが首突っ込むな。
71歳の私はそう思うが、どうもそれでは納得行かない人々がいるようだ。
と言うか、他にやることがないんだろうね。
私もこの年になって分かったが、年寄りは迷惑な存在なのだ。
年寄りの話なんて聞きたくないだろう。
一緒に居るのも面倒だろう。
「早くくたばれ」とまでは思わないにしても、大人しくしていてほしい。
そう思われているのだ。
ただ、寝たきりになったり、痴呆症になったりすれば、それはそれで迷惑をかけることになる。
そういう意味では、こうした住民運動は老化防止のためのいい運動になる。
ちなみに「至誠一貫」は、孟子の言葉「至誠にして動かざる者いまだこれあらざるなり」が起源。
吉田松陰の座右の銘とも言われる。そのことから同じ長州山口県出身の故安倍晋三元首相も「至誠」を座右としていたという。
最近では大相撲の正代が大関昇進にあたり「至誠一貫の精神で相撲道にまい進して参ります」と口上を述べた。
ついでに言えば、「遠山の金さん」では、お白洲に「至誠一貫」と書かれた額が掲げられていた。
「至誠」は、孟子や吉田松陰や安倍晋三や正代や遠山の金さんともかぶっている。
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