「これ私の持論なんですけど…」
と、いちいち断りを入れて話す人いるが、恥ずかしくないの?
「これ私の持論なんですけど、燃えるゴミと燃えないゴミの分別って意味ないんですよね」
こいつはまだいいか。
「これ私の持論なんですけど、ゴミは前の晩じゃなく、必ず収集日の早朝に出すべきなんですよ」
これが「論」かよ。
持論=その人が正しいと信じて、つねに主張している意見。
そうか。「つねに主張している」だから、以前からずっと言い続けていなければならないんだな。歴史(時間)とか、一貫性とか、反復性とか、そういうのが必要みたいだ。
となると、私のように他人の受け売りや、その場の思いつきで書いたり話したりしている者が口にしていいような言葉ではない。
他人の言説。たとえば偉い人の言葉を「私の持論」として述べていいか。
正しいと信じているなら構わないだろう。ただし、聞いている方は、「それ、誰それが言っていたよ」とか「それ、どこそこに書いてあったよ」と思うだけかもしれない。
そうならないためにはどうしたらいいか。
聞き手や読み手にとって、たとえその意見が以前に聞いたり読んだりしたことがあったものだとしても、目の前のその人のものになっている、すなわち「その人の持ち物」になっていると感じれば、「私の持論」として受け入れてもらえるのではないか。
では、「その人の持ち物」になるとはどういうことか。
実践だ。
「正しいと信じ」、「つねに主張している」からには、当然ながら実践が伴っていなければならない。
また「私の持論」は、他の「私の持論」と矛盾があってはならない。「論」と言うからには「体系化」が求められるのである。
とまあ、そんなことを考えるものだから、そう易々と「これは私の持論なんですが…」とは口に出せないのである。
以上、「私の持論」を述べてみた。
って、やっぱり変だ。
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