令和をどう生きるか。
 昭和に生まれ、30代後半で平成を迎えた私は、令和を初めから老人として迎え、おそらくはこの時代に世を去る。
 だったら、どう生きるかよりも、どう死ぬかを考えろよ。
 ごもっとも。

 老人に価値のない時代である。
 とにかく人数が多すぎる。お年寄りを大切にしましょうって、そりゃ相対的に数が少ないから大事にするのであって、そこらに溢れてるものを誰が貴重品扱いするものか。

 年寄りの知恵。
 昔は世の中がユルユルと進んでいたから、若いころ身につけた知恵や経験が子や孫の代まで有効だったんだが、こう変化のスピードが速いと、瞬く間に陳腐化してしまう。それに、お婆さんの知恵みたいなものも、直接本人に聞かなくたってネットで調べれば一発だ。そういう点でも老人に価値が見いだせない時代だ。

 存在そのものの価値が低い。持っている知恵も経験もすでにほとんど価値を失っている。それが自分の現在地。

 とすれば。
 新たな知恵と経験を身に付け、価値を創造して行かなければならない。
 「今さらかよ」
 そういう思いもないわけではないが、下手をすれば90でも100でも生きてしまう時代だ。
 「今からだよ」

 昭和の話や平成の話だったら、いくらでもできる。
 だが、今日からは令和の話をしよう。

 以上、間もなく68歳を迎える老人は改元に当たりそう考えた。