昨日の台風で、再三の警告にも拘わらず「ただちに命を守る行動」を取らなかったのは私である。水辺に住んでいるわけではないし、近くに崖もないし、ここにじっとしているのが安全という一択なので迷うことがない。
 だが、これが出先だったらどうだろう。動くべきか動かざるべきか。動くとしたらどこにどうやって動くべきか。大いに悩んだであろう。

 ただ、われわれ日本人は台風について毎年のように体験学習しているからまだいい。お気の毒だったのは外国人観光客だ。台風など生まれてこの方経験したことがない人々も大勢いるわけで、異国の地で不安な一夜を過ごされたことだろう。
 「な。これが日本なんだよ。われわれ日本人は有史以来ずっと地震や台風といった自然災害と向き合ってきたんだよ。作ったら壊され、また作ったら壊されという永遠に続く闘い。それが日本や日本人を作り上げてきたんだ」
 などというのは、もちろん命が守られた上での話である。

 外国人であれ日本人であれ、必要なのは具体的かつ局地的な情報である。長野県の千曲川が氾濫したかどうかは、言ってしまえば、埼玉県民の私にとって差し当たり必要のない情報だ。さらに言えば、同じ埼玉でも浦和に住む私にとって秩父の情報は意味を持たない。
 「ただちに命を守る行動」を取るようにとアナウンスするようになったのは東日本大震災の教訓であり、それはそれでいいのだが、被害にあったり犠牲者が出た時に「だから、あれほど言ったじゃないか」と言い訳に使われたのではたまらない。
 具体的な行動を起こすのに必要な情報提供はまだまだ不十分だと感じた一夜であった。

 ところで。
 台風はこれからもやって来る。

 私がまだ教員であった頃だが、師走に上陸した台風があった。気象庁の上陸記録でもっとも遅い台風とされている1990年11月30日の台風だ。当時私は、荒川土手に近い大宮南高校に勤務していた。荒川が決壊すれば1階は間違いなく水没するような場所だ。
 今なら、あらかじめ臨時休校だろう。が、30年前そういう慣習がなかった。私は川の様子を見に行った。今は「川の様子を見に行かないでください」となるところだが、教頭は「ちょっと見て来い」と当たり前に指示した。
 土手に上り目の前の風景を見て眩暈がした。味わったことのない恐怖を感じた。ふだんなら川の流れはずっと先に見えるはずだが、濁流がすぐ足元にある。こりゃダメだ。学校に戻った私は、校長・教頭に即刻授業打ち切りを進言し、実際そのようになった。

 台風ネタが続いたので、明日は話題を転じよう。