今月の「よみうり進学メディア」に「この夏、どう過ごす」という記事を書いた。
「大幅短縮となった夏休み テーマを明確にし、控えめな計画を完全実行しよう」という内容で、中学生に向けに書いた易しい記事だが、よろしければご一読いただきたい。
◆「よみうり進学メディア」とは
「よみうり進学メディア」は、首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)の公立中学2・3年生に中学校を通して無料配布している月刊入試情報紙だ。発行部数は60万部。
1面は全版共通記事だが、中面の特集記事などは都県別に異なる編集になっている。
創刊は2002年。
まず埼玉版がスタートし、翌年から東京版、その後千葉版・神奈川版が加わり、一時は群馬・栃木・茨城まで拡大したが現在は1都3県版のみとなっている。
スタートが埼玉からであるのは、私が発案し、当時浦和に本社があった読売メディアセンターという会社に企画提案したものだからだ。
読売メディアセンターは求人媒体の発行などを行っている会社で教育や入試とは無縁であったため、当初はあまり乗り気ではなく、「うちが扱うジャンルではない」と言われた。
しかし、記事の取材・執筆・編集及び学校・塾に対する広告営業など一切を私と岩佐桂一氏(岩佐教育研究所)が引き受け、読売メディアセンターには主に配布・流通面を担当してもらうということで何とか発行にこぎつけた。
創刊号では、埼玉県私立中学高等学校協会会長(当時)・松﨑洋右先生や同私学教育研究所所長・川端幹雄先生、創刊2号では佐藤学園理事長(当時)・佐藤栄太郎先生(故人)など埼玉県私学界を牽引する諸先生に寄稿していただいた。
新聞の名称には発行を引き受けてくれた読売メディアセンターに敬意を表し「メディア」を入れた。「よみうり」は「読売」を希望したが、当時の読売新聞グループの内部規定で本社関連以外の発行物には漢字の「読売」を使用することができず、止む無く平仮名とした。
その後2010年、読売メディアセンターが消滅し(解散し)、同じく読売新聞社の100%子会社である読売エージェンシーが業務を引き継いだため、「よみうり進学メディア」担当スタッフも同社に移籍し、今日に至るまで発行を続けている。
◆生みの親から下請けライター
自称「よみうり進学メディア」生みの親である私だが、今の立ち位置は頼まれて記事を書く下請けライターである。
子は親のことなど忘れるものだ。
昔は、どんな記事を書いたらいいか、どう編集したらいいか、広告はどう集めたらいいかと手取り足取り教えたものだが、どんな赤ん坊だってそのうち大人になるのと同じで、次第に自分で出来るようになる。そうなれば、「うるせえ、黙ってろ」となるのは世の常で、おまけに広告の入りが悪い時など当然のように原稿料値下げを要求してくる。
と言って、このことにさほど不満を持っているというわけでもない。いつまでも「おんぶにだっこ」より、よほどましだ。子が親のことを思うのは、自分が親になってからである。
というわけで、今は1都3県共通の1面記事と「受験生の疑問に答えるQ&A」、それと埼玉版のいくつかの特集記事執筆が私に課せられた役割である。まあ体力も落ちてきたことだしちょうどいい。
創刊時50歳であった私も間もなく古希を迎える。孫のような中学生を相手にかれらの心に刺さるような記事を書けるかというと、正直自信がない。なにしろ今の中学生は創刊時には生まれてもいなかったのだ。
このブログで何度か新たな書き手を募っているのには、こうした事情がある。
◆クレーマーはいるものだ
記事に対するクレームは常にある。中学校の先生からはときどき事実誤認を指摘される。「裏を取る」ことは欠かさないが、それでも時に誤報を流してしまう。
入試がらみの微妙な記事に関して、たとえば分析や予想に関する記事については、できるだけ署名記事にしてもらいたいと編集部にお願いしている。今は一般紙でも記者の名前を明らかにする時代だ。
冒頭紹介した「この夏、どう過ごす」の記事にもクレームがあったという。
編集部からは、そのことを私に知らせる中で、「一人のクレームの裏に100人のクレームがある」と言われた。「社員が45分も対応に費やした」とも。まあ、金払ってるんだからちゃんと書けよということだ。はい、気をつけます。
ところで、どんなクレームか。
先に私の書いた記事をお読みいただけるとなおいいのだが、要するに「控えめな計画を完全実行」が気に入らないというのだ。母親からのものだ。
直接聞いたわけではなく、また聞きのまた聞きになるが、夏休みに目一杯頑張ろうと思っている受験生がいるのに(自分の子供がそうなのかは不明)、控えめでいいとは何事だ。やる気をそぐようなことをなぜ書くのか。
いや別に頑張るなとは言ってないよ。完全実行しろと言ってるんだ。
いつもの半分の2週間か3週間しかないわけでしょう。学校だって遅れのばん回に必死なんだから宿題をたっぷり出すでしょう。塾だって短い夏期講習に全力集中を求めるでしょう。そのあたりを踏まえれば、自分の計画に基づく勉強はあんまり盛りだくさんにしないほうがいい。控えめでも完全実行したら自信になる。その自信が後々生きるんだよ。
この考え方が気にいらないという人は当然いるだろう。
本ブログ読者の皆さんだって、自分ならこのようにアドバイスすると、それぞれの考えをお持ちだろう。ただ、いちいちクレームはつけない。こういうこと書いてあるけど、そうじゃないよとか、これを信じて思いっきり控えめにする人がいるかもしれないが、だったらチャンスだぞとか、上手い具合に生徒を誘導するだけの話だ。
もし仮に、今年の夏休みは短いから、その間にいつもの倍以上やらなければダメだと書いたらどうだろう。
だが、そうするとたぶん、子供の健康のことを考えていないとか、こんな夏休みになったのは子供の責任じゃないとか言い出す人も出てくるだろう。
オーダー次第でどんな論調の記事でも書けるのが下請けライターの強みだが、さすが読者全員を納得させることはできない。発行部数60万部だよ。皆が皆読んでくれるわけじゃないから、そのうち10%として6万人、1%として6千人だ。どう書いたって、そうじゃないという人は出てくる。
◆クレーマーを作らないのも教育のしごと
クレームをつける人がいてもいい。お客様からのクレームは企業サイド、あるいは学校・塾サイドから見た場合、貴重な情報という面もある。
普通にクレームをつける人と、いわゆるクレーマーの違いはどこにあるか。
クレーマーは知識が少なく理解力、読解力、想像力に欠ける。
「そんなの常識でしょう」はクレーマーの常套句だが、知識が不足しているから、世の中にいろんな考えがあることに気づかない。常識とは考え方や行動様式の総体であり、時と場所が変われば通用しない場合も多く相対的なものである。「私の考えでは」とか「私の時代は」ならまだいいが、いま現在の自分の立場から生じた個人の見解を常識と思い込んでしまうところが愚かである。
言葉の知識が少なく真意を理解できない。行間を読み取る読解力など持ち合わせておらず、筆者や話者の背景に思いをめぐらす想像力など望むべくもないから、文字や言葉や文章の表層をなぞっただけの狭小な自己流解釈しかできない。
勉強って大事だね。
クレーマーはよく言えば正義の人である。
ただ、他者に対する許容性に欠ける。
「あなた、真面目にやってるの」、「こっちは金(税金)払ってるんだ」。
いや、皆さん真面目にやってますよ。真面目にやってたってミスることあるでしょう。不真面目と失敗とは比例関係にはない。
役所の仕事の半分はクレーム受けみたいなものだが、彼らも納税者だ。税金払ってるのは、あんただけの特別な行為じゃない。
お客が金を払っている代わりに、店(店員)からサービスの提供を受けている。お金とサービスはバーター(交換)だ。
他者に対するリスペクト(尊敬)という概念がないのかね。困ったものだ。
クレーマーは自己顕示欲が強い。
自己顕示欲は承認欲求(マズローの心理学)の一種だ。あってもいい。
だが、時として自己顕示欲は劣等感の裏返しであったりする。
「だから、そうじゃなくて」と相手の否定から入るのは自信の無さの表れである。劣等感とは言い換えれば自己肯定感の低い状態である。
モンスターペアレンツに悩まされている先生方もいると思われるが、これもまた教育の結果である。
学校教育に問題があったのか、家庭教育に問題があったのかは難しいところだが、いずれにせよ教育の負の成果だ。
クレーマー予備軍を生産しないよう頑張っていただきたい。
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