なんだ、緊急事態宣言ではなく緊急時短宣言ではないかと仰っている方もいて、笑ってしまった。
 何とも中途半端な対策だが、政治家同士の駆け引きでこのようになる。

 さてこの一年、私たちは「オンラインはデフォルト」という意識を持って事に当たらなければならない。
 デフォルトには金融用語で債務不履行、IT用語で初期設定といった意味があるが、ここでは標準とか既定という意味合いで使っている。
 平たく言えば、「オンラインが普通だよね」ということだ。

 ICT教育が叫ばれて久しいが、ガンガン突っ走っている学校がある一方、環境が整わないとか、デバイスが行き渡らないとか、効果が疑問とか、さまざまな理由をつけて回避してきた学校も多かった。
 しかし、新型コロナで状況が一変し、やらざるを得なくなった。
 不謹慎だがコロナのお陰である。

 オンライン化は昨年に限って言えば、緊急避難的なものであり、代替手段であったかもしれない。
 だが、これからは違う。
 仕方なく使ったり、補助的に使ったりするのではなく、メインとして積極的に使うのである。
 コロナが終息したらすべてを元に戻すという発想では令和新時代を生きていけない

 何をどうオンライン化したらいいかは追々述べて行くつもりだが、手始めに自分自身のことを書いておこう。
 昨年はオンライン会議というものをしばしば行った。
 非常に便利である。
 私は間もなくオンライン介護が必要になるが、そんなことはどうでもいい。

 オンラインの便利さは、移動の時間が節約できることだ。
 節約どころかゼロ。
 今までだと、1時間の打ち合わせのために2時間、下手したら3時間の移動時間が必要だった。
 合わせて3~4時間。
 確実に半日がつぶれる。

 これだけの時間を確保するとなると、今週は無理、来週もちょっと、という具合で調整が難しい。
 しかし、1時間なら何とかなる。
 それくらいなら明日でもいいよ。何なら今スグでも。
 と、なるから、仕事の進行が格段に早まる。

 こりゃあ、もう元には戻せないな

 私の場合、対学校の仕事であれば、学校という場所に行くことにかなり重要な意味があるわけだが、それ以外の仕事で「どこで会う?」というような話だったら、場所には何の意味もないのであるから、お互いの移動時間をゼロにしたほうがいい。
 そういうことが、ちょっと前までは出来なかったが、今は簡単にできる。

 こんな話をすると、外を出歩かなくなるからお前のような年寄りはますます足腰が弱ると、余計な心配をしてくれる人がいるが、逆だろう。
 2時間、3時間節約できたら、その分走ったり歩いたりする時間が確保できるじゃないか。
 心構えの問題だ。

 オンライン会議だと紙の書類が手元に残らないのもいい。
 今心がけているのは、紙の書類を減らすことだ。
 まずは新たに入手したものは、どんどんPDF化してPCに保存する。
 だいたい他人からもらった書類というものは、作った本人が必ず保管しているに決まっているから、いざとなったら、そこを頼ればいい。
 
 電源がないと見られないという難点はあるが、紙だって紛失したり破れたり、コーヒーをこぼしたり、ヤギに食べられてしまう危険性がある。

 後生大事にとってある過去の書類なんかも、自分にとっては貴重品だが、他人から見ればただのゴミだ。
 ゴミは出来るだけ減らしてこの世を去ろう。
 捨てがたいものは、これも電子化して保存する。

 少し話がそれたが、オンライン化それ自体は目的ではない。
 あくまでも手段である。
 大事なのはこれによって時間とスペースが生み出され、仕事と人生にゆとりが生まれることである。
 一時的に忙しくなることはあっても、オンライン化で継続的に忙しくなったり事が複雑化したのでは本末転倒だ。
 つい最近の話ではないが、手段が目的化しないよう気をつけよう。

 ということで、今日は時短宣言のお話でした。