専門高校訪問シリーズ3校目。今日は春日部工業高校だ。
 取材用の荷物が多いのと、帰りに別の学校に寄る予定があったので車を使ったが、電車が便利な学校だ。
 東武スカイツリーライン「北春日部駅」東口から徒歩3分。マンションの広告風に言えば徒歩1分。

◆日本の高度成長を支えた工業高校
 創立は1964年(昭和39年)。
 前回の東京五輪が行われた年だ。

 県内には工業系のみの学校、いわゆる工業高校は8校ある。
 (三郷工業技術を含めれば9校)

 これら8校を創立年順に並べてみる。
 川越工業  1908(明治41)年
 大宮工業  1925(大正15)年
 川口工業  1937(昭和12)年
 浦和工業  1961(昭和36)年
 狭山工業  1962(昭和37)年
 久喜工業  1963(昭和38)年
 春日部工業 1964(昭和39)年
 熊谷工業  1966(昭和41)年

 ここにはっきりした傾向がみられる。
 1961(昭和36)年から1966(昭和41)年まで6年間に、一気に5校が開校している。
 当時、日本の高度経済成長を支える若き人材が強く求められていた。

 あの頃、若年人口は今の倍はいたが、高校の数は半分しかなかった。
 都市部であっても中卒で就職する者がいくらでもいた時代だから、高校に行くこと自体があこがれだった。
 そういうわけだから、出来立ての工業高校は普通科と肩を並べるような存在だった。
 少なくとも、普通科が無理だからと行く学校ではなかった。

 が、あれから半世紀以上経過し、日本の産業構造が変わった。
 世界の中での立ち位置も変わった。
 そうした中、世の中が(企業が)工業高校に求めるものも変わり、受験生・保護者が工業高校に求めるものも変わった。
 さあ、工業高校、これからどこへ行く。

◆募集では量の確保より、質の担保を優先すべき
 春日部工業高校は、工業系3学科から成る。
 電気科・機械科・建築科。
 ちなみに、上記8つの工業高校すべてに共通しておかれているのが電気科と機械科だ。
 建築科は、同校のほか、熊谷工業(北部)、大宮工業(南部)、川越工業(西部)と各地区1校ずつある。

 令和3年度入試の結果。
 【電気科】 
  募集人員79人 入学許可候補者51人
 【機械科】
  募集人員79人 入学許可候補者70人
 【建築科】
  募集人員80人 入学許可候補者64人
  というわけで、いずれの学科も定員に満たず欠員補充を行った。

 工業系学科は全県に14校49学科あり、総募集人員2580人に対し、入学許可候補者は2321人だった。
 49学科中27学科(57.4%)が定員割れで欠員補充を行っている。
 という現状を考えれば、まあ仕方ない結果と言えるだろう。

 学校としては、何とか定員確保をという思いがあるだろうが、専門高校の場合は向き不向きというものがある。
 公立学校として、量(定員)の確保も必要だろうが、多少定員を割ったとしても質の確保を優先したほうがいいのではないか。
 質が高いとは、目標・目的のはっきりした生徒を集めるということである。

◆清潔な校舎、活気に溢れた授業
 決して新しい校舎ではないが、教室も廊下もその他の場所も整理整頓がなされている。
 まあ工場内に、ゴミ一落ちていないのと一緒だ。
 道具を大切にすること、きちんと管理することなども含め、そのあたりの教育が徹底されているためだろう。
 
 実習が多く(特に3年生)、共同作業が多いせいか、校内は活気に溢れている。
 と、そこまでは言い過ぎだが、明るい雰囲気だ。
 少人数で、指導者が複数ついている授業が多いのは、先日行った深谷商業などと一緒だ。
 
 
 好きなことをやっているから、知識や技術の習得も早い。
 先生の指示がなくてもどんどん自分から動く。
 今日は機械科3年生が課題研究として取り組んでいる「ミニ電車」の制作現場を見せてもらったが、かれらは試行錯誤を厭わない。
 納得が行くまで何度でもやり直す。
 自分たちで答えを見つけ出そうと知恵を出し合う。
 もともと持っていたものなのか、学校に入って身につけたものなのか、そのあたりは分からないが、「ものづくりの精神」ここにありと言ったところだ。