居場所のない老人どもにどうしたら生きる喜びを与えてやれるか。
そんなことは国や自治体が考えればいいことで、自分ごときが首を突っ込む話ではない。
そもそも言ってる本人が正真正銘、立派な老人じゃねえか。
他人のことよりテメエの心配をしやがれ。
なんだが、最近は「元〇〇」みたいな連中と顔を合わせる機会が多いので、ついつい考えてしまう。
65歳までは何とか働く機会が確保される時代になった。
ある意味、いいこと。
収入が半減したり、役職外れて平になったりという寂しさはあるが、慣れた職場で慣れた仕事が出来るのだから、それはそれで良い面はある。
だが、問題はその後だ。
さっさとあの世に行ければいいが、平均寿命を考えれば、その先も結構長い。
そう考えると、65歳まで慣れた職場で慣れた仕事を続けるのは、はたして本当に良いことなのかと考えざるを得ない。
60歳はまだまだ元気だ。
私には定年というものはなかったが、還暦を迎えたとき、「こんなもんか」と思った。
すでに60歳を迎えた方も「まだ出来る」「まだ行ける」というのが実感であり、実体であろう。
これから60歳を迎える方も、同じことを思うだろう。
60歳は働き盛りと言ってもいいほどだ。
しかし、65歳になると明らかに気力、体力が衰えるのだ。
70歳を超えたら、はた目にもそれが明らかになる。
衰えを感じないとしたら、それこそが衰えの証明なのである。
何か新しいことを始める。
今までとちょっと違う世界に足を踏み入れてみる。
それを実行するなら1歳でも若いほうがいい。
仕事でも趣味でもいい。
元気な60歳から始めて5年間没頭したらどうなる?
ものにもよるが、まあまあいっぱしのものにはなるんじゃないか。
65歳からだとかなりきついぞ。
70歳からでは奇跡を待つしかない。
現実問題として死ぬまで雇用が保障されないとしたら、その後を考え実行に移すのは一刻も早い方がいい。
私の周りには、もう手遅れと言わざるを得ない老人がゴロゴロいる。
昔は華々しかったんだけどね。
社名を言えば、みんなが「ハハっ」と、ひれ伏してしまうような輝かしい経歴。
でも、それも定年までだ。
勤め人は定年直後が旬なのだ。最強なのだ。
OBの威力が発揮できるのは実にこの瞬間なのだ。
その華麗なる人脈、知識と経験。
最高潮にある時、なぜそれを利用しなかった。
ああ、残念無念。
会社から世話された再就職先にどっぷり浸かっている間に、人脈は細り、知識も経験も古びてしまったではないか。
今では、誰か自分の話を聞いてくれないか、相手してくれないかと人探しの毎日。
家庭以外には居場所というものがない。
かれらは必死に「〇〇会社OB」を名乗るが、10年経ったら「OB」じゃなく「元OB」。
そりゃそうだろう。
デカい会社であればあるほど「OB」は毎年大量に生産されているのだ。
いつまでも「OB」名乗ってんじゃんねえ。
「元OB」、「旧OB」と言え。
とまあ、こんな「元OB」のために、どこか居場所を考えてやろうじゃないか。
そう思って、ある計画を立てた。
まだ妄想の域を出ないが、これから1年くらいかけて実行に移そうと思う。
本人のため、ご家族のため、そしてちょっぴり世の中のため。
計画の進捗状況は、随時このブログでも報告して行こう。
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