中学生向け受験情報誌「よみうり進学メディア」で授業特集を組むため、今月は4校ほど訪ねた。
 私立3校、公立1校。
 例年は取材するごとにこのブログでもレポートを書いていたが、今年は書くタイミングを逸した。

◆高校教諭は院卒の時代へ
 今回取材対象にさせてもらった4人の先生のうち3人が大学院修了という学歴だった。
 そうか。今やそういう時代なのか。

 若い頃の話だが、その当時でももちろん院卒はいた。
 が、言っちゃなんだが、使いもんにならんやつが多かった(個人の感想です)。
 研究者になり損ねたやつばっかり。
 まあ時代背景として、荒れる生徒をどう制圧するかが大問題であり、知性派や学者肌よりも、体力派・武闘派が重宝されたという面もあるが。

 しかし、どうやら今は違うみたいだ。
 明確に高校教諭を目指しつつ、大学院に進む。そういう人が増えてきた。
 今回取材した先生からも、「生徒に教えるためには、より高度な専門知識が必要と考え、そのために大学院に進んだ」という声が聞かれた。
 昔では考えられんな。
 なんて真面目なんだ。立派なんだ。

 余談だが。
 以前、外国人教師に、大学では何が専門だったのかと尋ねた際、「自分は大学院に行っていないので専門は無い」と返答され、驚いたことを思い出した。
 たしかに、1、2年生で一般教養やって、3、4年でちょっとばかり専門教科かじったくらいでは、専門家とは言えんよな。
 修士で2年、博士で3年。
 その間に何本か論文書くくらいじゃないと、恥ずかしくて専門などと言えない。

 今後、先生になりたいという生徒に対しては、少なくとも高校教諭目指すなら大学院まで視野に入れなさいと言ってやらなければならない。
 「えっ、先生、大学しか出てないの」なんて生徒に馬鹿にされたら悔しいだろう。

◆PCもタブレットもただの道具
 取材対象となった先生がいずれも30代から40代前半というせいもあるかもしれないが、PCやタブレットを完璧に使いこなしているという印象だ。
 この点も、今の先生たちは見事だ。

 せっかくGIGAスクール構想で一人一台端末が実現したのに、使いこなせていないという声も聞かれる。
 それが、あたかも先生の責任というか、研究不足であるかのように言われるが、これはちょっと違うのではないか。
 高校生の授業を見ていると、そのように感じる。
 彼らは、机の上に教科書、辞書、ノート、プリントと、いろんなものが出ていても、それらを適宜使い分けることが出来る。
 そこにタブレットが一つ加わったところで、どうということはない。

 中学生ならまだしも、小学生、特に低学年だと、いろいろな教材を使いこなすのは無理。
 教科書やノートさえ満足に使えないのに、そこにタブレットを持ち込もうとするから話が面倒になる。
 小学校や中学校でICT機器等が十分に活用できていないのは、先生よりも、児童生徒の側にある。

 こういう政策を決めるのは、大体が年寄りで、パソコンやスマホを宇宙からやって来た魔訶不思議な道具ぐらいに思ってるんだろう。
 これは早くからやっておかないと大変なことになるぞ。
 って、そう思ってるのは、あんたらだけだ。

 今さら言っても仕方ないことだが、配られてしまった以上は使わなければと、無理に使って訳の分からん授業になってるんじゃないか。
 よく手段の目的化ということが言われるが、使うことが目的になってしまっては本末転倒だ。
 この授業はその目的からしてPCやタブレットは使いませんという授業があったって全然かまわない。

 今回の授業取材では、いずれの授業もPCやタブレットやプロジェクターが使用されていたが、ごくごく自然な使われ方でさすがだと思った。
 これは先生がどうこうではなく、相手が高校生だからだろう。
 早く高校生全員に持たせたほうがいい。