馬鹿馬鹿しいニュース2題。
 いずれも参議院文教科学委員会がらみである。
 
 私もそうだが、ふだん国会の審議などいちいち見ることはない。
 NHKでは国会中継しているが、真っ昼間にテレビなど見ていられるか。
 というか、そもそもテレビそのものを滅多に見ない。

 国会審議について何か必要があれば、インターネットで中継されているので、それを見ればいい。
 今日取り上げるニュースは11月15日、参議院文教科学委員会での質疑に関するものだが、こちらですべてを視聴することができる。

 参議院インターネット中継
 11月15日、文教科学委員会で検索すればいい。

 では、一つ目。
 中条きよし議員、質疑中に自曲をPR。
 中条きよし氏、国会で新曲とディナーショー宣伝「不謹慎」と批判(11月15日 毎日新聞)
 おバカとしか言いようがないな。
 質疑の最後に新曲とディナーショーの宣伝をしている。
「最後になりますけども、私の新曲が9月7日に出ております。杉本眞人の作曲で、昭和の匂いのする『カサブランカ浪漫』という曲でございます。ぜひお聞きになりたい方はお買い上げください。そして、12月28日に中条きよしラストディナーショーというのをやります。今年最後のディナーショーではなくて、芸能界最後のラストディナショーでございます」
 後で宣伝のつもりはなかったと言い訳しているようだが、これを宣伝と言わずして何と言おう。
 動かぬ証拠は、上記インターネット中継の「1:58:25」あたりにある。

 二つ目。
 これも同日の参議院文教科学委員会に関するもの。

 学校現場での新聞の活用「積極的に行う」…文科省(讀賣新聞オンライン)

 文部科学省の藤江陽子・総合教育政策局長が「成人年齢の18歳への引き下げなどに伴い、新聞が学校現場で広く活用されるよう、教員や司書に対し、好事例の紹介を積極的に行う」と述べたとある。
 公明党・竹内真二議員の質問に答えたものだ。
 ほとんどどうでもいいような質疑であるが、斜陽の新聞産業としては、「ほら、文科省も新聞を活用しようって言ってるでしょ」とアピールしたくて記事にしているわけである。
 なお、この質疑の模様は上記インターネット中継では「1:30:35」~「1:33:50」あたりで見られる。

 それはそうと、この記事に登場する藤江陽子・総合教育政策局長というのは、前川喜平・文部科学次官時代に、例の天下り斡旋で停職処分を受けた人じゃなかったか。
 同姓同名の可能性もあるが、そのご本人だとすれば、不祥事を乗り越えて局長にまで出世できて何よりだ。

 話を戻すが、新聞業界の斜陽はもはや図書館に置くとか、そういう次元の問題ではなくなっている。
 新聞を購読している人が激減してるのだ。
 そして、その購読者もほとんどが高齢者。
 だから若い人にということだろうが、生まれた時から家で新聞をとっておらず、ニュースはネットで済ます世代が今さら紙の新聞など読むはずがない。

 紙に印刷して、一軒一軒、人間が配って回るという旧型ビジネスモデルがこの先続くはずがない。
 一刻も早く紙と訣別するべきだろう。
 お客の側はそれで何の不都合もない。

 ただ、事件にしても事故にしても、誰かが現場に出向いて取材する必要があるわけで、ニュースというコンテンツそのものを生産する役割は残る。
 Yahoo!ニュースがあれば事足りると言う人もいるが、こうしたサイトは単にニュースという商品を店頭に並べているだけであり、商品そのものを生産するメーカーではないのである。

 今までは、自社で生産したニュースという商品を、自社の媒体(紙の新聞)に掲載し、自社で運んでいた(流通させていた)。
 ある意味、ニュースという商品市場において生産・流通・販売を独占していたのである。
 それが完全に崩れた。

 以前は、私のような個人が、何かを取材し記事にしたとしても、それを発信する手段を持たなかった。
 しかし、今はこうしてネットを使い、好きなように発信できるわけである。
 足りないのは権威、信用力、ブランド力。

 そう考えれば、新聞社が守るべきは紙媒体としての新聞ではなく、権威、信用力、ブランド力であることが分かる。
 多角的かつ深い取材力・分析力も必要だ。
 まあ早い話、良質な商品を作り出せるかどうかということ。

 図書館に並べたところで、それが粗悪な商品であれば、誰も利用しようとは思わない。