私はいつも言うように人づきあいが悪い。
 自信を持って言えるが、友達は少ない方だ。
 
 人の集まる所に好んで行く人がいるが、私は極力避ける。
 そのせいか未だコロナに感染していない。

 人の集まるところが好きな人は、そういう性分なのだから、どんどんやればいい。
 別に否定しない。
 だから、私がそういう所に行かないとしても、「付き合い悪いな」などと文句を言わないでくれ。
 お互い、個人を尊重しようじゃないか。

 70歳を超えた今は、少ない友人や知り合いをさらに減らそうとしている。
 と、そんな話をすると、「そうですよね。人数少なくても、その分深く付き合えばいいんですから」などと言う人がいるが、それは違う。
 それでは横のものを縦にしただけで、付き合いの総量は減らないではないか。

 狭く、浅く。
 人生終盤はそれでいいのだ。

 とは言うものの、現役で仕事を続けていれば、未知の人との出会いは避けられない。
 今年もいろんな人と出会った。
 大部分は最初で最後だろうが、それでいい。

 さて、そんな中。
 ふと気づいたのは、転職経験者が多かったなということだ。

 仕事の性質上、大企業社員や公務員との接点が少ないという事情はある。
 元々、中小企業者や自営業者やフリーランスとの関係の方が深い。
 が、そういう個人的事情を差し引いても、転職経験者との出会いは多かった。

 いろいろな調査があるが、総務省の調査でも就業者の約5%が転職を希望しているようだ。
 転職エージェントの調査だと希望者も実際の転職者もさらに増える。
 ネットにはさまざまな転職サイトが溢れているし、TVCMも流れている。
 秘かに職業安定所(ハローワーク)に足を運ぶ時代は、とうに終わった。

 つい最近会った若者(子持ちの30代男性)も、すでに3つも4つも会社を変わりながら、今は従業員100人を抱える会社社長になっている。
 学歴を聞けば、一流大企業に入ってもおかしくない、と言うより。入るべき人材だ。
 だが、安定よりチャレンジを求め、転職を重ねてきた。
 そして、まだ先がありそうだ。

 こうした若者の多くは(必ずしも若者だけではないが)、技術者(エンジニア)である。
 やっぱり理系は強いな。
 また、高度な資格を持った者も多い。
 そんじょそこらのしょぼい資格じゃなく、技術を伴う資格保有者。
 あとは、特殊な技能を持った職人タイプの人。
 こうした人々が、よりよい環境、収入、仕事内容を求めてどんどん転職する。

 文系は圧倒的に分が悪い。
 それでも数学が出来れば何とかなるが、数学Ⅰまでしかやっていませんでは話にならん。
 
 文学が好きでした。
 歴史が好きでした。
 それもいいだろう(自分もそうだったし)。
 だが、そんなもの教員にでもならない限り仕事じゃ使えん(自分がそれだ)。
 芸術や体育を極めたほうが、よほど仕事になる。

◆私立文系コースなんて要らないだろう
 とまあ、こういう時代であるから、いい加減「私立文系」なんてコースはやめたらどうだ。
 そう思うわけである。

 国語は出来るにこしたことはない。
 英語の4技能とか大騒ぎしているが、もっと大事なのは日本語の4技能だ。
 英語は出来ればやっておいたほうがいい。
 その程度だ。

 あとは数学。
 「私立文系」が「英・国・社」なんていうのは昭和の話だ。
 令和の「新・私立文系」は「国・数・英」。
 
 数学・理科を学ばずに、試験に数学のない大学に入る。
 そこまではいい。
 いや、良くない。
 だって、そこまでで終わってしまうではないか。

 昭和スタイルの文系人間は、転職も起業もできない。
 人生の選択肢が狭い人間を量産してどうする。

 これから社会的に評価される学校とは。
 5教科全部やらせる学校。
 文系・理系を早くから分けない学校。
 理系クラスよりの方が文系クラスより多い学校。
 私立文系などという「役立たず量産クラス」を持たない学校。

 全部の学校がそこを目指せとは言わないが、「理系クラス新設」よりも「文系クラス廃止」の方がインパクトがある。
 そういう時代だ。