スポーツの日であるから、外を走ろうと思っていたが、生憎の雨。
 この程度の雨、若い頃なら雨仕様で、と言ってもキャップを被りウインドブレーカーを纏うだけだが、普通に走っただろう。
 だが、この年になったらそういう無理なことはしない。

 無理をしないので、走力は落ちるばかりだ。
 スポーツは楽しくやることも必要だが、それではある程度までしか上達しない。
 その時々の体力、経験に応じて、無理をしなければ上手くはならず強くはならないのである。

 パリ五輪出場を決めた男子バレーボールの石川祐希選手が、テレビの情報番組に出演し、橋下徹氏の「根性練習とかは今はないわけでしょ?」との問いに、「あんまりないと思います。でも僕は最終的に根性かなと思っています」と答えたという(ネットニュース等より)。
 久しぶりに聞く「根性」。

 われわれ世代が「根性」という言葉ですぐに思い出すのは1964年の東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール・大松博文監督である。
 なお、今日「スポーツの日」は、かつての名称を「体育の日」と言い、10月10日に定められたのは、この日が前回東京五輪の開会式が行われた日だったからである。
 
 「根性」は大松監督の代名詞となった。
 「根性」はスポーツ界はもとよりビジネス界にも広がった。
 今はネガティブに捉えられる「根性」だが、昭和の高度成長期にはポジティブな意味を持つ言葉だったのだ。

 大松監督の唱える「根性」は誤って伝わった部分も多い。
 普通に考えれば、精神力をいくら鍛えても技術や体力が伴わなければ世界一になどなれるはずがない。
 新しい技術を生み出したからこそ勝利を得られたのである。
 大松監督は創意工夫の人であった。

 が、勝利を手繰り寄せたさまざまな要素は切り捨てられ、精神論のみが独り歩きした。
 「根性論」は大衆に広がる過程で勝利至上主義を正当化する理念としての役割を果たした。
 そして不幸なことにしごきや暴力を伴う指導が許容される元ともなった。

 だが時代を経て、スポーツのあり方、指導のあり方にも大きな変化が見られた。
 昭和の「根性論」は今や完全に否定され忘れ去られた。

 と、そんな時に平成生まれの若者から発せられた「最終的には根性かな」の言葉。
 むろんテレビ番組では橋下徹氏の「根性練習とかは」を受けて、「最終的には根性かな」と答えたのであって、石川選手が日頃から「根性、根性」と叫んでいるわけではあるまい。

 時に限界まで自分を追い込むこと
 最後まで諦めずにやり通すこと
 自分を信じ仲間を信じること

 強くなるためには、そうした精神面の強さも必要だ。
 それも含めて「最終的には根性かな」ということだろう。

 以上、スポーツの日に因んで。