皆さんは他人に対し、「最後まで諦めるな」と激励したり、アドバイスしたり、説教したことがあるか。
 私は数えきれないほどある。
 受験生には最後まで諦めず勉強すればきっと合格すると励まし、募集を担当する先生方には最後まで諦めず行動すれば必ず生徒は集まるとアドバイスする。

 では、自分自身はどうなのか。
 他人に対しては、苦しい思いをするのは自分ではないから、気楽に言える。
 しかし、自分に対しては苦しさが己を直撃するから、そう易々と言うわけにはいかない。

 まあ負けてもいいんじないの。
 それで命をなくすわけではないし。
 今度は負けても次に勝てばいいじゃないか。
 と、逃げ道ばかり用意し、「最後まで諦めるな」とは決して言わない。
 結果、大した成功を手にすることなく人生の終わりを迎えようとしているのである。
 何と情けない。

 そんな諦めの早い私であるから、連戦連敗の負け戦人生なのだが、その分だけ負け方には精通してくるのである。

◆一矢報いる
 最後まで諦めなければ勝つ可能性はゼロではないが、諦めた瞬間負けが確定する。
 とは言え、同じ負けるにしても、ちょっとは抵抗しようではないかという意地みたいなものが多少はあるわけだ。

 10対0の試合で最後の最後に1点を取っても勝敗には何の関係もない。
 100万円損した後に1万円取り返したって収支に与える影響はゼロに等しい。

 だが、戦った証だけは残しておこう。
 一矢報いるの「報いる」は「報復」の「報」であるから、言葉の意味としては仕返しするとか一泡吹かせるといったことになるかと思うが、あくまでも戦った事実を心に刻んでおくためだ。
 そういう意味での一矢報いる、だ。
 実戦のなかで一矢報いた経験は、もしかしたら別の機会で生きるかもしれない。

◆勝ち戦だけでは伸びない
 勝ちは実力と努力の証明である
 負けはその反対で無力と怠惰の証明である。
 
 勝ち戦と負け戦とではどちらが学びが多いか、また、得られるものが多いか。
 こんなもの、答えは火を見るよりも明らかだ。
 勝ち戦に決まっている。

 いや、負け戦から得られるものもあるなどというのは敗者の言い訳に過ぎない。
 少なくとも、負けっぱなしの人間にこれを言う権利はない。
 一度でも勝ってから言いな。

 ただ、勝敗というのは相対的なものであるから、常勝であるということは勝てることが確実な戦いばかりしているからなのかもしれない。
 あえて挑んだ結果の負け戦であれば、何がしかの戦果は得られるかもしれない。

◆勝てばオレ、負ければオマエ
 負け戦ではしばしば責任のなすりつけ合いになりがちである。
 組織であれば仲間の誰かに敗因をなすりつけ、私のような個人であれば、他社の責任にする。
 ひどい時は世の中のせいにする。
 勝ち戦ではオレを称賛するのに何んと身勝手なのだ。

 敗色濃厚な時の仲間割れほど傍目に見苦しいものはない。
 「オマエがダメだからこんなことになったんだ」
 そうかもしれないが、それは後でもいい。
 生死の境でやることか。
 とりあえず生き残りを果たしてから、盛大に罵り合いでも何でもやればいい。

 と、まあ、長年負け戦ばかりしていると、いろいろと気づきは多いものである。
 それだけ分かっていながら、なぜ負け続けるのかと言うと、途中でも言ったように、負け戦から得られるものなど取るに足らないからである。
 やはり勝たねばいけないのだ。
 だから「最後まで諦めるな」。