昨日、ブログ記事にするため、たくさんの学校の終業式校長式辞を読んだ。
 年に数回のこととはいえ、校長先生とはなかなか大変なんだと思った。

 終業式は学習指導要領の中で「特別活動」とされている。
 「特別活動」の中の「学校行事」、さらに「学校行事」の中の「儀式的行事」という位置づけだ。
 代表的なのは入学式や卒業式、始業式や終業式・修了式だが、新任式や離任式なども含まれる。

 その狙いを改めて調べてみたが、「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるようにすること」とある。
 現役の時は、こういうの頭に入っていたんだが、教職を離れて長いので、すぐには言葉が出てこない。

 始業式や終業式において校長式辞あるいは講話・訓話といったものが必須なのかどうかは分からない。
 入学式や卒業式に関しては国旗を掲揚し、国歌を斉唱するようにと書いてあるが、始業式や終業式に関しては具体的な記述はない。
 ただ、儀式的行事は全校生徒及び全教職員が一堂に会して行われる教育活動であるから、その場で校長が何かを語るのは自然な流れだ。
 
 校長の他に、進路指導主任や生徒主導主任などが話をすることも多いが、それらは「新しい生活の展開への動機付け」にならなければいけない。
 と、そのように考えて各校長の式辞を改めて読み返してみると、なるほどよく考えられているなと感心すると同時に、「自分には無理」と思わざるを得ないのである。
 パーティのスピーチではなく、教育活動の一環であるから、ぶっつけや思い付きで適当な話をするわけに行かず、何日も前から準備されるのだろう。ご苦労様。

 なんだが、生徒は校長の話なんかどうでもいい。そこまで極端ではないにしても、楽しみにしている生徒はたぶんいない。
 中には「早く終わんねえかな」ぐらいにしか思っていない生徒も多いだろう。
 校長式辞はそいう逆風の中で行われる。

 儀式的行事であり、「厳粛で清新な気分を味わう」ことが狙いであるから、威厳をもって臨まなければならない。
 授業だったら、たまには笑いを取りに行くところだが、校長式辞ではそれは許されない。
 もちろんユーモアはあってもいいが、受け狙いは禁物。
 今の時代、式辞をホームページ上で公開することも一般的だから、世の中の風潮にも目配り気配りが必要だ。
 学校が公開した式辞をコレクションして、それをブログで広げようとする輩もいるくらいだから、ちょっとした表現にも神経を使わなければならない。
 私も若いころは、校長の話を聞きながら、「なんて下手くそなんだ」、「自分ならもっと上手くやるのに」などと思ったものだが、今ならそれがどれだけ浅はかな考えだったかが分かる。
 
 要は目の前の生徒たちに響けば良いのであるから、いちいちホームページ上で公開しなくてもいい。
 公開は学校イメージの向上につながる可能性もあるが、部分を切り取られ、批判にさらされる危険性もある。
 そういう意味では自らの責任において公開に踏み切った校長先生方には敬意を表したい。
 と、同時にブログネタを提供してもらい感謝している。