東京で3月に雪が降るのは4年ぶりだそうだ。
 4年前?
 ということは2020年、コロナ禍に突入した年だ。
 調べてみたら3月29日だと分かった。
 その日のブログには「桜と雪を同時に見られるなんて、滅多にないことだ」と書いてあった。

 埼玉県内では、今日が卒業式の学校も多かったようだ。
 先生方は朝から雪かきご苦労様。
 幸い雪は早い時間に上がり、予定通りに式を挙行した学校が多かったようだ。

 例によって校長先生の式辞をまとめた記事を書こうと思っているが、明日の学校もあり、来週の学校もありなので、少し時間をおいてからにしよう。
 別に、それほど期待されている記事ではないわけだし。

 さて、本日は調査物を書く気力がないので思い出話でお茶を濁す。

◆卒業式経験は豊富
 私は十数年という短い教員生活しか送っていないが、さすがに10年もやっていれば授業、分掌、行事はじめ教員一通りの業務は経験するわけである。
 中でも新任から6年間で4回の3年生担任というのは忘れがたい思い出だ。

 3年生を送り出したら次は1年生に降りて行くのが一般的だが、「前年の進学指導の経験を次の学年に生かすには、一人ぐらい残したほうがいいじゃねえの」と、誰かが言い出して、お鉢が回って来たわけである。
 古い学校だったらそんな話にはならなかったと思う。
 だが、開校から日の浅い学校(当時、新設校と呼ばれた)で、学校としてのノウハウの蓄積がきわめて少なかった。
 そんな中、入学者のレベルが急上昇し、大学進学希望者も激増した。
 それで、「これからは生活指導より進学指導だ」となって、新たなシステムが考えられたのだろう。
 もちろん、考えたのは私じゃなく幹部クラスの先生方だ。

 こうした、いわば留年がさらにもう一度あった。
 そんなわけで6年間で4度の3年生担任という、まあそれほど多くないであろう経験をさせてもらったわけである。

 途中で辞め、短い教員生活だった割には卒業式経験はまあまあ豊富なのだ。

◆老後の楽しみ、クラス会
 担任を外れたいと思ったことはなかった。
 それは、問題行動を起こすような生徒がいなかった学校だったからというのもあるかもしれない。
 それにしても、授業のための勉強は大変だったし、放課後や土日は部活があるしと、それはそれは慌ただしい毎日だった。
 若く、体力があったからできたのだろう。
 
 あれから40年。
 (どこかで聞いたことがあるような…)

 今やかれらも立派な大人になった。
 いや、大人どころかジジイ・ババアになった。
 還暦を過ぎた代もあれば、間もなく還暦という代もある。
 そのくらいの年齢になると、もう子育てからは解放されており、孫の相手をしている連中もいる。
 仕事の方もぼちぼち一段落で、時間に余裕ができる。
 そうなると「久しぶりに集まろうぜ」とクラス会の頻度が高まってくる。

 かれらにとってクラス仲間が大事なのであって、先生などどうでもいいのであるが、そこは十分に社会経験を積んできた初老の紳士淑女たちである。
 誰かしらが思い出して「そうだ、先生も呼んでやろうぜ」と言い出し、何人かが「それもそうだな。仲間に入れてやるか」となって、お声がかかるのである。

 今にして思えば、若いころに担任していたからこそ、このような関係が得られたのである。
 これがもし、40代後半から50代であったら、かれらが人生を語れるようになった頃には、こっちはもうこの世にいないことになる。

 先生という職業に、こうした老後の楽しみがあるなど、若い時には想像すらしなかった。
 まあ、担任という点では1年生も2年生も同じなのだが、集大成の1年間を共に過ごし、一緒にゴールテープを切ったという思い出が一番強く残るのだろう。