説明会を増やせ、早くやれと外野から煽りまくっている。
 教育委員会や現場の管理職の皆さん方からは、さぞ迷惑がられていることだろう。
 この無責任野郎め、というわけだ。

 しかし、たしかに無責任と言われればそうかもしれないが、丸っきり学校社会というものを知らないわけでもない。
 だから、一定の節度を持って発言しているつもりだ。

 教職員研修会などに呼ばれた際、よくこんな話をする。
 「教育的活動と非教育的な活動」。

 先生の業務(仕事)は「教育的活動」と「非教育的活動」の二つに大別できるのではないか。
 「教育的活動」の中心はもちろん授業であるが、児童生徒と直接関わる仕事がこれに当たる。
 行事や部活などもそうだ。
 目の前に子供たちがいてはじめて成立する業務。
 ただし、授業準備や教材研究は、子供たちのいないところでするが、授業とセットになっているので「教育的活動」に含まれる。

 それに対し「非教育的活動」は、子供たちとの関りはあるが、かれらが目の前にいなくても成立する仕事だ。
 会議や打ち合わせやその他の事務的仕事はこちらになる。

 で、この分類に従えば、生徒募集や広報に関わる業務は、明らかに「非教育的活動」である。
 生徒募集や広報は教員の仕事ではないと言う人もいるが、私はそういう立場は取らない。
 「教育的活動」ではないが、先生の業務の一つに数えられる。

 では、両者の違いはどこにあるか。
 この点について私は、合理化になじむかなじまないかで説明している。
 ここで合理化という言葉を使うか効率化という言葉を使うか迷ったところだが、さしあたり合理化で説明できそうなので、こちらを採用している。

 「教育的活動」は合理化になじまない。
 と言うか、ここでは合理化追求に走らないで欲しいという願望も込められている。
 より良い授業の追求に終わりはない。
 このくらいでいいや、とはなりにくい。

 生徒が相談に来た。
 勤務時間外だからとは、言いづらい。
 
 もちろん合理化は不可能ではないのだが、どうもなじみにくいな、というのが実感だ。

 対して、「非教育的活動」は合理化を追求していい。
 いやむしろ、徹底して合理化を図るべきだ。
 そうじゃないと業務総量は肥大する一方となる。

 働き方改革が叫ばれているが、必ずしもあらゆる業務を均等に時短するということではないだろう。
 一方に合理化になじまない業務があるのだから、なじむ業務は徹底的に合理化を図る。
 その結果、足し算して総量を減らせば、それが働き方の変化につながる。

 が、この足し算引き算は意外と難しい。
 仮にABC3つの仕事があって、それぞれの業務量を10とする。
 今、業務の総量は「10×3=30」である。

 これを「27」に減らしたい。
 一つの考え方はそれぞれ1ずつ減らして「9×3=27」とすることだ。
 しかし、答えはこれ一つではない。
 「10+10+7」も「27」だし、「12+8+7」も「27」だ。
 あれ? 10が10のままじゃないか、10が12に増えてるじゃないか。
 そう。
 そういうこともある。
 でも、総量はちゃんと減っている。
 
 先生方は、減らそうと思っても減らせない、合理化しようにも、しきれない重要な業務を抱えているのだから、そのための時間や精神的なゆとりを確保するためにも、それ以外の部分では合理化を追求しようではないか。
 生徒募集や広報も欠かすことのできない大事な業務であるが、ここでは無駄を省いて生産性を向上させるという考え方があっていい。
 場合によっては、「ここまではやるが、これ以上はやらない」という判断があってもいい。

 昭和時代の一時期、先生という職業にあった私には、先生は子供たちとできる限り時間と空間を共有したほうがいいという考え方がある。
 ただ一緒に過ごすだけでもいいし、何なら遊んでいてもいい。
 これが先生の役割であり学校というものの機能ではないか。
 まあ、ICTだAIだと言われるご時世に、古い考え方だろうな、という思いはあるが。

 これからも節度を保ちながらいろいろな提案をして行こうと思う。