埼玉県では3月29日、令和6年度当初人事異動が発表された。
今朝(30日)の新聞やネットニュース等でご覧になった方も多いだろう。
公立高校に限れば70近い学校で校長が交代した。
新任校長(初めて校長になった)も18人を数える。
ということで、今日のお題は「校長が代われば学校は変わるか」である。
そのようなタイトルの本もあったような気がする。
なぜこのようなタイトルの本が出るかというと売れるからである。稀有なケースだから売れる。
最初に答えを言っておくと、「校長が代わっても学校は変らない」である。
細かい部分では変化は見られるだろう。
私の領域で言えば、募集や広報活動が活発になった、あるいは逆に低調になった、などというものだ。
しかし、いつも言っているように募集や広報活動は重要ではあるが教育そのものではない。
私の考えでは、学校が変わるとは教育が変わることなので、その意味で「校長が代わっても学校は変らない」。
まあ管理職経験の無い人間が何を言うと、ここまでで反発を感じられる方もいると思う。
そういう方はここで終了。
一応、聞くだけは聞いてやろうという寛大な心をお持ちの方はもう少しお付き合い願いたい。
◆在任期間2~3年では無理
変わらない理由の一つは、公立の場合、在任期間が2~3年ときわめて短いからである。
少なくとも4~5年は必要だろう。
例えば教育課程を変えたとして、その結果が現れるのは3年後である。
そこからさらに改善を加え、次の結果が出るのにあと3年であるから4~5年でも足りない。
校長自身も2年やそこらで大改革など不可能と分かっているから、余計なことはしない。
よって、校長が代わっても学校は変らないのである。
と、こんな言い方をすると、新天地で頑張ろうと思っている皆さんに申し訳ない。
そこで励ましの意味で一つアドバイスをしておこう。
種まきはできる。
ただ花咲き実を結ぶのは、次か、そのまた次の校長の時である。
今この学校があるのは、3代前のあの校長のおかげと、ずっと後になって感謝され評価されるのである。
たった2~3年の在任期間中に評価されることは100%ない。
◆鍋蓋組織の限界
学校は「鍋蓋(なべぶた)組織」と言われる。
むろんほめ言葉ではなく、学校組織の前時代性、非効率性を揶揄する表現である。
校長・教頭など一部管理職が鍋のぽっち(持ち手)の部分で、それ以外の先生は鍋の平たい部分だ。
それと対比されるのが企業におけるピラミッド状の組織である。
「平社員→主任→係長→課長→部長→取締役→社長」というやつだ。
鍋蓋組織は学校特有の風土であり文化と言えるものである。
よく言えば民主的と言えないこともないが、学校外の人間からすれば、経営(マネジメント)に民主制は要らんだろうとなる。
組織を効率的に、かつスピーディに運営して行くためには上意下達がいい。
意思決定に全員が関わる必要がどこにある、ということになる。
学校は良くも悪くも鍋蓋組織であるためにリーダーシップが発揮しにくい。
企業やその他の組織(役所なども)では、「大事なことほどトップが決める」のだが、学校では「大事なことほど皆で話し合って決める」となりがちだ。
これが「校長が代っても学校は変らない」二番目の理由である。
私立学校の場合は、完全なピラミッド状にはなっていないものの、公立ほどの鍋蓋状態ではないことが多い。
その分意思決定も行動も早い。
私立側からすれば、公立は大きな四角い鍋で、ぐつぐつと時間をかけておでんでも煮ていてくれといったところだろう。
以上、身も蓋もない話になってしまった。
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