わが社は吹けば飛ぶような零細会社であるが、それでも一応経理・事務担当者がいるわけである。
 そう言っては何だが、計算をさせたって資料を作らせたって、私の方が圧倒的にスピードがある。
 だが、それでも人を雇用する。
 なぜなのか。
 それは全体の生産性や利益を上げるためである。

 事務仕事はコストであって会社の収入にはならない。
 一方、わが社の場合、私の執筆作業は売り上げであり、収入源である。
 つまり、私が事務仕事に時間を使うということは、会社として付加価値を生み出す機会をロスしているのである(機会損失)。
 だから、たとえ作業効率が劣ったとしても単純作業は事務員に任せ、私自身は利益につながる仕事に集中する。
 その方が全体の利益向上に貢献するからだ。

◆「できないやつ」の活かし方
 何をやっても「できるやつA」と、何をやっても「できないやつB」がいたとする。
 たとえばこの二人。
 プレゼン資料を作らせたらAが1時間に10の仕事、Bが3くらい仕事だったとする。
 それに対し、定型的な事務作業ではAが1時間に10の仕事、Bが5くらいの仕事だったとする。
 この場合、定型的な事務作業におけるAとBの差は、プレゼン資料作成における差よりも小さい。
 そこで定型的な事務作業をBに任せる。
 するとAにゆとりが生まれるから、より創造的な作業に向かうことができ、全体の利益向上となる。

 と、ここまでで、少しでも経済学の知識がある方は、リカードの「比較優位論」を下敷きにした話であることにお気づきだろう。
 分業により利益を上げるメカニズムである。
 「使えないやつ」をダメなやつと見下したり、あきらめたりせず、使ったほうが勝ちである。

◆自身が持つ最高の武器で戦う
 さらに応用編。

 AとB、二つの学校があったとする。
 この両校、歴史も伝統も、地域の評判も、進路実績も、部活実績も、何もかもAが勝っていたとする。
 つまりAは絶対的優位に立っている。
 BにはAを上回るものが一つもない。

 というような場合、Bはどのように戦うか。
 
 とりあえずAの存在を忘れよう。
 相手を意識しない競争(戦い)などないのだが、いったん忘れる。
 そして意識を内部に集中する。
 他校との比較ではなく、自校内でさまざまな要素を比較してみる。
 たとえば、「部活実績はそれほどでもないが、参加率は高いし、みんな最後まで続けるよね」とか、「歴史の割には地域とのつながりが深いよね」とか。
 つまり「良いとこ探し」。

 ここで他校と比較してしまうと、上には上があるということになり、話はそこで終ってしまう。
 だからそれはしない。
 (するとしても、それはもっと後の段階だ)
 あくまでも自校内で相対的に優れているものを探し出し、それを武器にする。
 他と比較したら、どうしようもない武器だったとしても、自分が持っている中での最強最高の武器で戦うしかない。
 これが弱者の戦法である。

 何度も個人的な話をして恐縮だが、私は文字を書くことで何とか生計を立てている。
 では、この分野において絶対的優位に立っているかというと、とんでもない。
 上には何層もの人材がひしめいている。
 これは到底勝ち目がない。

 と言って、何もしなければ食って行けない。
 そこでたどり着いたのが弱者の戦法で、自分の中で相対的に、あるいは比較的優位にあるものに目をつける。
 体力か、知識・学問か、経験か、人間性か、生まれ育ちか、資産かといろいろ考えると、比較的ましで好きなことがある。
 それが文字を書くことで、じゃあ、大したもんじゃないがそれを武器に戦ってみるか。
 すると満腹には程遠いが何とか食えるようにはなるものだ。

 最後に結論めいた話をすれば、他者と比較し絶対的優位を目指すことも必要だが、その目を自身(自校)に向けて相対的優位の発見に努めてみたらということだ。