このブログではあまり金銭に関わる話はしていないが、今日は金の話である。
団体や学校から講演を依頼されることがある。
講演は自分の仕事の中でメインとは言えないが、日時と内容で折り合いがつけば基本引き受ける。
その際、主催者側との間で確認しなければならないのが講演料(いわゆるギャラ)である。
主催者が営利目的でない場合は60分から90分で5万円、主催者がお客から受講料をとるなど営利を目的としている場合は5~10万円というのがこれまでの実績だ。
◆60分5万円は高いか
5万円は高い。
そう言われることがある。
口に出して言わないまでも、そう思われる方が多いだろう。
私にとっても5万円は大金だ。
だがそれは、その5万円が丸々自分の懐に入る場合である。
ビジネス(業務)として行っているのであるから、お金はいったん会社に入る。
つまり5万円は会社の売り上げとして計上されるわけである。
個人塾を経営されている先生方は実務的にも直感的にもすぐお分かりになると思うが、売り上げはあくまで売り上げである。
そこから経費というものが出て行く。
事務所の家賃だったり従業員の人件費だったり外注費だったり、もちろん税金や社会保険料だったり。
とにかく、これでもかとお金が出て行く。
いろんなケースがあるので一概には言えないが、私個人で言うと、自分の懐に入るのはだいたい売り上げの1割くらい。多くても2割でそれ以上ということはない。
誤解のないよう断っておくが、別にもっとギャラを高くしてくれと言っているわけではない。
給与所得者(サラリーマン)と自営業者の金銭感覚の違いをちょっと言ってみただけだ。
実際のところ、学校の先生方や、中学生・保護者の皆さんと直接交流することで多くの情報が得られる。
それが他の業務にも生かされる。
つまりは投資的な意味合いもあるわけだから、その瞬間だけの損得だけで捉えてはいけない。
この仕事は収支トントン、下手したら赤字。
でも、これを元に将来的な売り上げに結びつけられればそれも良し。
これもまた給与所得者(公務員やサラリーマン)時代には無かった感覚だ。
◆問題は講演そのものの価値
講師として大学や予備校の先生を呼んだり、会社員を呼んだりした場合は、講演料などはあまり要らない。
なぜなら、彼らは所属先から給与を得ており業務の一環として行っているからだ。
所属先から給与をもらい、当然ながら出張旅費(交通費)をもらい、その上でギャラをもらったら二重取りになる。
場合によってはその大学や企業の広報・広告にもなるわけだから、講演料無料で構わないという理屈だ。
それと一緒にされては堪らんというのが私の言い分ではあるが、翻って、講演そのものの価値という観点から考えてみよう。
支払った講演料のその先の流れなど、支払う側にとってはどうでもいいことだ。
われわれがコンビニで弁当を買って、いちいちその先の金の流れなど考えるだろうか。
弁当だけじゃない。
物品に限らずサービスも含めたすべての出費において、お客にとって大事なのは支払った金額に見合うだけの満足を得られたかどうかである。
物品やサービスを提供するためにどれだけのコストがかかったか。
あるいは、売り上げがどのように配分されるか。
そいうことはお客とはまったく関係ないことだ。
講演1回に準備も含めてどれほどの時間と経費(コスト)がかかるか。
利益としてどれくらい残るか。
もちろん経営上は常に考えておかなければならないのだが、お客とは無関係のこちらの都合だ。
それ以前に、また、それ以上に考えなければならないのは、お客が支払った金額(額面)に見合うだけの価値を提供できたかどうかである。
と、ここまで書いてきて、ふと思った。
もしかしたら、学校や塾も同じではないか。
授業料が丸々先生の懐に入るわけではない。
ほんの一部だ。
しかし、お客の側は(生徒・保護者)、支払った学費(授業料など)を基準に、それに見合うだけの授業やその他サービスを要求する。
「自分にはそんなに入ってこないんだよ」などと言っても始まらない。
自営業者の懐事情をぐだぐだ書いてしまったが、ちょっと余計だった。
金額の多寡よりも、まずは、真に価値あるサービスを提供することを心がけなくてはならない。
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