仕事柄、学校説明会にはよく行く方である。
 そんな中、校長挨拶でよく聞く言葉に「本校の自慢は生徒です」というのがある。
 実はこれ、あっちでもこっちでも聞く定番フレーズなのである。

 A校では「本校の自慢は生徒です」と聞かされ、B校に行けばまた「本校で一番自慢できるのは生徒です」と聞かされる。
 なんだよ。自慢合戦かよ。
 初めてなら新鮮だし感動もするが、こうも繰り返し聞かされると、「もういい。他に何かないのかよ」という気分にもなる。
 いっそのこと「本校の自慢は校長、つまりこの私です」とでも言ったら、会場も盛り上がるんじゃないか。

 いや別に生徒を自慢しちゃいけないと言っているのではない。
 人に自慢できないような生徒しか育てられないんじゃ、学校としてどうなのかという話だ。
 だから、自慢結構。

 学校説明会は反省会ではないのだから、生徒に多少の不満はあってもそこは目をつぶってほめたたえよう。
 ただ、「本校の自慢は生徒です」はいただけない。
 日本全国の校長先生により使い回されたフレーズで、もはや心に刺さる言葉ではなくなった。

 別の言葉で言い換えよう。
 自慢という単語を使わずに自慢しよう。
 言いたいのはそこだ。

◆アテンション・エコノミーの時代
 それはそうと、今の世の中、自慢に溢れかえっていないか。
 SNSなどを見ると、これでもかと自分の富や容姿をさらけ出しての自慢合戦。
 まあ、それを羨む人が多いということなんだろうが、「慎み深さ」や「謙虚さ」といった価値観はどこへ行った。

 アテンション・エコノミーという言葉がある。
 日本語に訳せば「関心経済」。
 高度情報社会においては情報の質よりも人々の関心(注目)が経済的価値を持つというもの。
 つまり、多少の批判は浴びても「注目された者勝ち」。
 こうした価値観の広まりが炎上商法や虚偽報道(フェイクニュース)を引き起こしている面もある。

 学校説明会は、要は自慢の場である。
 自慢話を聞いてもらうために集まってもらった。
 生徒自慢。
 先生自慢。
 進学自慢。
 部活自慢。
 施設自慢。
 制服自慢。
 駅近自慢。
 どうぞご自由に。
 逆に「本校は自慢できるものはありません」などと言おうものなら、「だったら、なぜ呼んだ」となる。

 どんなに実力があっても、それをアピールできなければ存在そのものが認められない時代である。
 適度な自慢はむしろするべきだ。
 ただし、「すごいだろう」と自分から言ってはいけない。
 聞き手に「すごいな」と思ってもらえるかどうかが問題なのだ。
 そのための話術や言葉選びが重要なのだ。
 自己評価がいくら高くたって、他人評価が高まらなければ人は集まらない。