昔作った法律や規則が今も残っているのは何ら珍しいことではなく、むしろ当たり前だ。同じように中央官庁が出した通知・通達の類が残っていたとしてもそれ自体は問題ないのだが、時代が変わり、状況が変わったのに、昔出した通知・通達のとおりにやれよというのはどうなんだろう。

 平成5年(1993年)2月22日、当時の文部省から「高等学校入学者選抜について(通知)」というものが発出された。
 年度で言うと平成4年度(1992年度)である。
 このとき、いわゆる業者テストの廃止(追放)というのが行われたわけである。
 今から32~33年前の話であるから現役の高校教員の皆さんの中にも、その当時のことを知らない方が多いだろう。

 当時の埼玉県教育長は竹内克好という人だった。
 クソ知識だが、竹内教育長の前は荒井修二教育長、後は荒井桂教育長。教育者出身の二人の荒井先生にはさまれた竹内教育長は行政出身で教員経験・学校経験なし。まあ、教育のこと、学校のことを何も知らない素人の強みで、とんでもないことを言い出したのが事の始まりだ。
 もう一つついでに言えば、竹内教育長の下、文教政策室長に任にあったのが文部官僚で後に埼玉県教育長を務めることになる小松弥生氏である。

 偏差値で進路をきめてはいけない。
 だから業者テスト(北辰テストを指す)を中学校から追放する。
 今では信じられないことだが、北辰テストを、平日、公立中学校の教室で、先生が監督して、生徒全員に受けさせていたのだ。そして中学校の先生はその結果を元に進路指導したし、自ら私立高校に出向いて確約を取ってきたりしていたのだ。
 で、この話に乗っかったのが時の文部大臣鳩山邦夫で、偏差値追放は全国的な騒ぎとなったのである。
 
 というわけで、その頃まだ生まれてなかったよという中学高校の先生方は、以上を踏まえて昔の通知をお読みいただくことにしよう。

◆偏差値じゃないんだよ
 竹内教育長は、仮にも県教育行政のトップとなったわけだから、埼玉の教育を良くしようとは思っていただろう。
 「なんでもかんでも学校任せにするんじゃないよ。親ももっと自覚を持て、責任を持て」と、今言ったら結構受けるんじゃないかと思われるようなことも言っていた。
 ただ、方法論がピンボケ。
 偏差値追放?
 いや、そこじゃないんだよ。
 それでは理想の教育は実現せんのだよ。

◆私立や塾にとってはプラスだった
 この騒ぎを経て、高校入試の景色は大きく変わった。
 むろん今日の明日で劇的に変化したわけではないが、時間をかけて今の形が定着した。

 中学校から業者テストを追放したことで、公立中学校の進路指導力は弱まった。
 ただ、進路指導に割く時間は減ったので、一周回って教員の働き方改革の実現を強力に後押しする結果となった。

 中学校に代わって進路指導を引き受けたのは塾で、これにより塾の社会的地位も大きく上がった。
 テスト業者は試験会場の借用などを通じて私立高校の関係を深めた。
 私立高校は影響力を失った中学校の先生方よりも塾の先生との結びつきを強めた。
 親は自ら高校に足を運んで学校選びをする必要に迫られた。「子供の進路を学校任せにするんじゃない」という竹内教育長の理想は結果的に実現したとも言える。

 で、肝心の偏差値はどうなったか。
 昔よりパワーアップして、今も受験界・入試界の頂点に君臨する。

◆古くなった「通知」は見直し必要
 文部科学省は通知を守れという。
 それはそのとおり。
 だが、なにせ30年以上前のもの。
 時代に合わなくなった部分も多い。

 「~調査書の学習成績の記録以外の記録の部分を重視した選抜を行うことはもとより~」
 「調査書の学習成績の記録以外の記録を充実し,活用するよう十分配慮すること」
 調査書の学習の記録以外の記述はどんどん減っているのだが・・・

 「学力検査の問題作成については~論述式の解答を求める出題や思考力・分析力を問う出題を増やすなど~」
 時代は記号選択式、マークシート方式に移っているのだが・・・

 通知には「高等学校の入学者選抜は公教育としてふさわしい適切な資料に基づいて行われるべきものであり,業者テストの結果を資料として用いた入学者の選抜が行われることがあってはならないこと」とある。
 まあ私立学校が不正でもないかぎり何を基準に生徒を選んでも自由だと思うが、仮に偏差値だけはダメというのを認めたとしよう。しかし、「業者テストによる偏差値等に依存した進路指導は行わないこと」はどうだろう。そう言われても、では、どうやって指導するのよというのが生徒に一番近いところにいる先生方の感覚ではないだろうか。