昨日の通話録音の話、自分の中では前段があって、そこからつながって行った。
 発端は、「保護者対応」である。
 この言葉、自分が教員だった時代、使ったことも聞いたこともなかったはず。
 自分が無知だったのか。
 それも一部当たっているが、たぶん、業界用語としてなかったのだと思う。

◆保護者対応が教員の仕事となるまで
 この言葉が社会的に広く認知されたのは、1990年代後半から2000年代はじめと言われている。
 私が教員をやめた後に登場した言葉と思われる。

 私も教員時代、保護者との接点はあった。
 ただ、小中教員と比べたら圧倒的に少なく、たまにある授業参観とか三者面談くらい。
 これもまあ、教育活動の一環というくらいの認識。
 通常業務とは別に、多くの時間を割かなければならないという状況ではなかった。

 だが、世の中が変わり、学校を取り巻く状況も変わった。
 たとえば、モンスターペアレンツなる言葉(概念)が登場した。
 2007年ごろには流行語大賞の候補にもなったし、同名のテレビドラマも制作された。
 たぶん、このころから通常業務や教育活動とは別個に「対応」が迫られる事象となったのだろう。
 学校は、企業や行政におけるクレーム対応やカスタマー対応に似た動きを強いられるようになった。

 政治的な動きとしては、1990年代後半から、新自由主義的な改革が行われ、その中で、学校は(教育という)サービス提供者であり、保護者はその受益者であるという見方が強まった。
 学校はサービス業となり、保護者はお客様(神様)になった。

 昔にくらべ共働き世帯が増加した。地域コミュニティが希薄化した。
 その影響もあり、かつて家庭や地域で解決していた諸問題(生活習慣、交友関係のトラブル、マナー教育など)がすべて学校に持ち込まれるようになった。
 当然ながら、教員の授業以外の、生活指導に関連する保護者との折衝が激増した。
 そして、これらを総称して「保護者対応」と呼ぶスタイルが定着した。

 概ね、このような流れ。

◆呼び方を変えるだけでは
 最近、対応という呼び方をやめようではないかという動きがあるらしい。
 対応は、受動的であるから、もっと能動的に考えなければいけない。
 また、対応には防衛的なニュアンスがあるが、本来、保護者とは協力的な関係を築くべきであり、この言い方はそぐわない。
 と、いつものように行政は言ってくる。

 じゃあ、何と呼ぶ。
 保護者支援、保護者連携・・・。
 なるほど、それもいいだろう。
 だが、言い方を変えるんじゃなく、先生としては実態を変えて欲しいのだ。

◆教員になりたくない理由の一つ
 仕事上で、若い先生方に話を聞く機会がある。
 教員としての喜びや生きがい、逆に苦しんでいること悩んでいることを聞いてみる。
 
 個人の経験の範囲で言えば、悩みで一番多いのが、保護者対応。
 先輩の先生方や管理職が助けてくれると言いつつも、やはりこれが一番の悩み。
 まあ民間企業に入ったとしてもお客様対応があるわけだから、一人前の社会人になるための洗礼と言えないこともないが、もし仮に、これが先生になりたくない原因の一つだったり、若手が早々に離職してしまう要因だったりするのなら、教育界全体として対策を講じなければなるまい。

◆改善策はあるか
 保護者対応という言葉の裏にある、学校現場の構造的な問題をどう解消していくべきか。

 そんなことは、オマエが考えんでもいい。
 はい、おっしゃるとおり。
 はるか守備範囲の外の話。
 でも、ちょっとは言わせてくれ。独り言だ。

【テクノロジーの活用】
 かつての保護者対応は、対面、あるいは電話が中心だった。
 そのため、直接的な、感情的な対立になりやすい。
 そこで、デジタルで仕組化する。

 保護者からの欠席連絡、学校からの連絡などは仕組み化が進んできた。
 電話の自動応答と勤務時間外の設定も進んできた。

 (という流れの中で、昨日の通話録音にたどり着いた)

【チーム対応と外部人材活用】
 保護者対応を担任一人の責任と考えている学校はないだろう。
 昔はそんな風潮もあったが、いまは学校や学年全体で(チームで)取り組むべき問題と捉えられている。
 精神的には少し楽になった。

 専門家を介入させることへの抵抗も少なくなってきた。
 スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラー、スクールロイヤーなど。
 十分に機能していないとの批判もあるようだが、家庭内の問題はじめ、学校外の問題が持ち込まれるのが現代の学校だとすれば、学校外の人材を活用する方法を進めるしかないのだ。

 予算を伴うのでそう簡単ではないが、外部事務スタッフを増強して、先生を窓口業務から解放することも必要だ。

【学校の役割の再定義】
 最近、あちらこちらで言われている「再定義」。
 学校や先生の役割(仕事)はここまで。責任範囲はここまで。
 ここ、もう一回、線を引き直そうじゃないか。
 もちろん、保護者ともよく話し合って。また、行政も力を合わせて。

 自分が古い人間だからそう思うのかもしれないが、どう考えても学校は(先生は)、いろんな仕事を引き受け過ぎだろう。
 しかも、ほとんど無償で。
 この再定義抜きに教員人気の回復はないと思うのだが。