ブログに取りかかる時間が遅くなった。
 今日は、まったく教育とは関係ない話だ。
 
 今日会った年寄りは本を出したいのだそうだ。
 いるいる、そういう人。わんさかいる。
 年を取ると、みんなそうやって生きた証を残したいんだ。

 あんたはどうかと尋ねられる。
 ああ、毎日ブログ書いてる。12年間毎日書いてる。ただ、本にしようと思えばできるけどその気はない。どっちかというと人が本を出すのを手伝ったり、代わりに書いてあげたりする(ゴーストライターというやつ)ほうが向いている。そう答えた。

 すると。だったら、好都合。文章書くのが苦手な自分のような人間がどうやったら本を出せるか教えてほしい。そう言ってきたから、簡単だ、生成AI使えばいいんだよと教えてやる。
 スマホでも出来るが、たとえばAIボイスレコーダーみたいなのを使えばいい。年寄りにとってパソコン使ってキーボードで文字を打ち込むのは辛い。指の動きが遅いし、目が疲れる。
 だからボイスレコーダーを使う。
 ボイスっていうくらいだから喋ればいいんだ。そうすると録音して文字起こししてくれるだけじゃなく、ちゃんと文書にまとめてくれる。

 では実演してあげよう。
 下の文章は私が適当に喋ったもので、スマホ君が文字起こししてくれた。

「最近、道歩いててもうゴミがないですよね。全然。ゴミがないばかりじゃない。そもそもゴミ箱もない。ゴミはどこ行っちゃったんだ。いや、我々がね、子供の頃うんだから、 #まあ昭和 #ええ 30年代ぐらいかな。うん、いや、その頃は、もうね道にゴミ捨てるなんて当たり前だったですよね。ええ。汚かったあと #、あのい犬の犬の糞とかね。うんやとう、 #あの昔はね、 #あの。野良今や今ほとんどいないけどね。の野良犬。野良猫っていっぱいいたんですよ。多分今の若い子にね。野良犬とか野良野良猫って言ったって多分わかんないと思うんだけども。まあ要するに、飼い主がいないんだよね。うん、そういう #、あの犬とか猫がね #ええもうまま街中をしてたわけですよ。うん #まあ #まあでも、ほら #あのそこらに、ゴミも #ええとかね。喰べ物も、みんな散らかってるからね。 #まあ、それなりに。うん食べるのに困らなかったんでしょうね。うん、いや、ほんと汚かったね。うんあとね #あのま、これも、信じらんないけども、 #あの電車の中ね。いや、もう多分ね、男性大人のね。男性はね。ほとんど全員がタバコを吸ってたんじゃないかな。うんで、 #あのう電車の中で。 #うん。 #ええ。それもあれじゃあれですよ。 #あのうん、新幹線みたいな。ああ、いう列車で。 #まあ新幹線がそもそもないんだけども、 #あのそういう列車だけじゃなくて、普通のあれですよ。だから、今で言うと山手線えとか中央線とかね #まあそういう通勤電車ですよ。そこでね、大人たちはね、タバコ吸ってましたよ。普通にうんそういう時代だったね。うん。 #まあ、とにかくね。 #あのうん、日本はすごく清潔だって言うけども。うん。それはね #まわ我々に言わせるとね、それ最近の話でしょ #うん #まあそんな感じなんだよね」

 くだらない話だ。

 だがこれを生成AIが見事にまとめてくれる。

「ゴミと煙にまみれた、あのおおらかな時代」
 今の日本は、どこを歩いても本当にきれいです。道にゴミ一つ落ちておらず、そもそもゴミ箱すら見当たりません。若い人たちは「日本は昔から清潔な国だ」と思っているかもしれませんが、私たちの世代からすれば、それはここ最近の話に過ぎないのです。

 私が子供だった昭和30年代頃、街はもっとずっと「汚く」、そして「賑やか」でした。

街は動物たちの楽園だった
 今の街から消えてしまったものの一つに、野良犬や野良猫がいます。当時は、飼い主のいない犬や猫がそこら中をわがもの顔で歩いていました。今の若い子に「野良犬」と言ってもピンとこないかもしれませんが、当時は当たり前の存在だったのです。

 道端には食べ残しやゴミが散乱していましたから、彼らも食べ繋いでいくことができたのでしょう。その代わり、道には犬の糞が転がっているのも日常茶飯事。足元を気にしながら歩くのが、当時の「マナー」のようなものでした。

通勤電車の煙たかった記憶
 今では信じられないことですが、当時の大人の男性は、ほとんど全員が愛煙家だったのではないでしょうか。

 驚くべきは、その喫煙場所です。新幹線のような長距離列車ならいざ知らず、山手線や中央線といった、今で言う通勤電車の車内でも、大人たちは平然とタバコを吸っていました。 狭い車内に紫煙が立ち込め、灰皿があっても床に吸い殻が落ちている。そんな光景が「当たり前」だったのです。

「清潔さ」と引き換えに失ったもの
 今の整然とした清潔な街並みは、確かに気持ちの良いものです。しかし、ゴミや煙、そして野良犬たちで溢れていたあの頃の混沌とした風景を思い返すと、そこには今の日本が忘れてしまった「生命力」や「お互い様」という大らかな空気感があったようにも思うのです。

 私たちの生きてきた昭和という時代は、決してきれいなだけではありませんでした。でも、あの埃っぽさの中に、確かな日々の営みがありました。

 どうだ、参ったか。
 って、私が書いたんじゃない。喋っただけ。
 これを瞬時にそれっぽい思い出話にしてくれるんだ。
 老人諸君、これを使わない手はないぞ。
 スマホやボイスレコーダー片手にみんなで思う存分昔話をしようじゃないか。