公立高校が生徒募集面で苦境に立たされている。
 私立授業料の無償化などどこ吹く風といった余裕の公立もあるが、大半は生徒集めに苦しんでいる。
 そんなわけで、繰り返し、公立再建、公立再生をテーマに書いている。

 かつて公立高校が守り続けてきた「安さ」という最大のアドバンテージが消滅し、受験生や保護者は経済的制約に縛られず、純粋に「教育の質」で学校を選ぶ時代に突入している。そして、この地殻変動の中で、公立高校の「顧客不在」の体質が露呈したのではないかというのが今日のメインテーマだ。

 公立離れの本質的な理由は、施設の老朽化やICT設備の遅れといったハード面の格差ではないだろうと昨日も書いたとおりだが、生徒や保護者という目の前の存在と、真っ直ぐに向き合う「正対」の姿勢を欠いていることも大きな理由の一つではないか。

◆誰にも刺さらない無難な説明に終始
 公立高校の進路指導の現場では、しばしば「人間形成」や「適性に応じた進路」という美しい言葉が踊る。
 難関大学への合格だけが目的であってはいけない、自らの希望を実現できるよう後押しするのが役割だ、と彼らは説く。

 その論理自体は、教育の理想として間違ってはいない。しかし、受験生や保護者にとって、それはあまりに「きれいごと」に過ぎない。
 受験を控えた親子が抱く「この子の将来を確かなものにしたい」「目標とする大学に合格させてほしい」という切なる願いに対し、公立側の回答は常に奥歯に物が挟まったような言い方に終始する。

 「がっちり指導して、必ず第一志望を実現させる」と、なぜ言い切れないのか。
 そこには、文部科学省、教育委員会、議会、あるいはマスコミといった、あらゆる方面への「気兼ね」が透けて見える。
 公教育の公平性や中立性を盾に、特定のニーズに全力で応えることを回避しているのだ。その結果、発信されるメッセージから熱量は消え、誰の心にも刺さらない無難な「説明」だけが残る。

◆公立は「供給者ファースト」
 対照的に、生徒募集で成功を収めている私立高校は、驚くほどダイレクトに受験生のニーズに正対している。「国公立難関に合格させる」「私立難関の指定校枠を確保している」と高らかに謳い、そのための戦略を具体的に提示する。

 これは単なる宣伝文句ではない。私立にとって、生徒が集まらないことは経営の破綻を意味する。だからこそ、彼らは「顧客」である生徒や保護者の心の叫びに耳を傾け、その要望を形にする努力を惜しまない。彼らは受験生の隣に座り、同じ方向、つまり「合格」や「未来」を共に見ている「伴走者」である。

 一方、公立は依然として教壇の上から「進路はこうあるべきだ」と、上から目線で正論を振りかざす。自分たちが提供する枠組みに、生徒を当てはめようとする「供給者ファースト」から抜け出せていないのだ。この「立ち位置の差」こそが、保護者が感じる「公立への物足りなさ」の正体である。

◆公立再生への唯一の道
 公立高校が生き残るためには、関係各署への忖度を捨て、生徒や保護者と「正対」する勇気を持つしかない。
 目の前の受験生が抱く「不安」や「欲望」を真っ向から受け止めることである。「あなたの希望を叶えるために、私たちはここまでやる」という、逃げ場のないコミットメントを公に示すことである。

 授業料が無償化された今、公立は建前や理屈で生徒の心をつなぎ止めることはできない。
 公立側が施設設備の劣勢を嘆くのをやめ、私立以上の熱量を持って「個」の希望に正対し始めたとき、初めて公立再生の道が開ける。その変化を拒むのであれば、公立は「地域のセーフティネット」という最小限の役割に押し込められ、教育の主役から退場することになるだろう。