昨日、よみうり進学メディアの取材で訪れた学校で校長先生から言われた。
 「ブログ。最近、マーケティング寄りの話題が多いですね」
 その通りである。意識して増やしている。
 偉そうに言えば、自分自身のブランドイメージを崩さないためだ。

 私が本来書きたいのは、学校広報や生徒募集、つまり教育の中でもかなりマーケティング寄りのテーマである。ところが、毎日ブログを書いていると、そう都合よくネタが湧いてくるわけではない。
 そこで、つい専門外に手を出す。
 社会の出来事だったり、世代論だったり、働き方だったりする。

 昨日の記事などもそうだった。最後はかなり力技で学校の話に持って行ったが、正直に言えば、常日頃から関心を持ち、継続的にデータを収集している分野ではない。
 ところが、そういう記事に限って当たる。
 初速を見る限り、昨日の記事もPV1万超えはほぼ確実だろう。
 そして困ったことに、そういう「専門外ヒット作」が結構ある。

◆PVという麻薬
 ここで厄介なのがPV(ページビュー数)である。
 私はこれを、かなり本気で「麻薬」に近いものだと思っている。

 昨日まで1000PVで満足していた人間が、1万PVを経験する。
 すると、もう1000では物足りなくなる。
 次は1万5000。
 その次は2万。
 過去最高を更新すれば、さらに上を狙いたくなる。
 チェックするたびに数字が増える。
 これは気分がいい。

 人間の自己承認欲求を実に効率よく満たしてくれる。
 だから、また見に行く。
 また数字を確認する。
 そして、その数字に合わせて次の記事まで考え始める。
 こうなると、かなり危ない。
 本来は「何を伝えるか」が先だったはずなのに、いつの間にか「どうすれば数字が伸びるか」が先になるからだ。
 手段と目的がひっくり返る。

◆2万PV、3万PVは誰が読んでいるのか
 少し冷静に考えてみる。
 私が主な読者として想定しているのは、埼玉県内の高校の先生、塾の先生である。
 埼玉県内の公私立高校の先生全員を合わせても1万数千人程度だろう。そのうち1割が継続的な読者になってくれたとして千数百人。
 そこに塾や中学校の先生を加えても、日常的に読んでくれる人は2000人もいれば十分だ。

 とすれば、2万PV、3万PVなど、どう逆立ちしても到達しない。
 つまり、ヒットした記事の多くは、本来想定していない読者に読まれているということになる。
 もちろん、それ自体は悪くない。
 だが、そこで「もっと広く読まれよう」と考え始めると問題が起きる。

◆狭いから価値がある
 私のブログに多少なりとも価値があるとすれば、それは特殊性にある。
 埼玉県という地域限定。
 高校という校種限定。
 さらに学校広報、生徒募集、募集マーケティングというテーマ限定。
 とにかく狭い。

 だが、狭くすればするほど競争相手は少なくなる。
 全国の教育問題を論じれば、私より詳しい人はいくらでもいる。
 SNS論やマーケティング論を一般論として語れば、専門家は山ほどいる。
 しかし、「埼玉県の高校の生徒募集」まで絞れば、競争相手は一気に減る。
 そこが私の居場所である。

 にもかかわらず、PVという麻薬に酔うと、その居場所から離れたくなる。
 もっと広いテーマを。
 もっと多くの人に刺さるテーマを。
 もっと数字の取れるテーマを。
 その先に待っているのは、たぶんブランドの希薄化である。

◆学校公式インスタにも同じ罠がある
 これは個人ブログだけの話ではない。
 最近、埼玉県でも学校公式インスタを運用する高校がずいぶん増えた。
 インスタは実に親切である。
 どれだけ見られたか。
 どれだけ「いいね」が付いたか。
 どれだけフォロワーが増えたか。
 数字がすぐ分かる。

 しかも、その数字は増えると単純に嬉しい。
 すると当然、「もっと増やしたい」と考えるようになる。
 ここで外部業者の登場となる。
 「閲覧数を伸ばします」
 「フォロワーを増やします」
 「SNS運用を改善します」
 むろん、私自身、学校側から見れば外部業者の一人である。
 その意味では、こうした需要が生まれるのは有り難い。
 だが、ここにも同じ危険がある。

 PV数を増やす。
 フォロワー数を増やす。
 「いいね」を増やす。
 本来、それらは手段である。
 学校を知ってもらうため。
 関心を持ってもらうため。
 説明会に来てもらうため。
 志願先の一つとして考えてもらうため。

 そのための数字だったはずだ。
 ところが、数字は分かりやすい。
 分かりやすすぎる。
 だから、いつの間にか数字そのものが目標になる。

 フォロワー5000人達成。
 月間閲覧数10万回。
 投稿平均「いいね」300件。
 見栄えはいい。

 だが、それで志願者が増えたのか。
 学校への理解は深まったのか。
 説明会参加につながったのか。
 第一志望者が増えたのか。
 そこまで見なければ、広報としての成否は判断できない。

◆数字は成果ではなく途中経過
 マーケティングでは数字を見る。
 感覚だけで広報をやるわけにはいかない。
 だからPVもフォロワー数も重要だ。

 問題は、その数字を何と結び付けて見るかである。
 フォロワーが増えた。
 それで終わってはいけない。
 その人たちは誰なのか。
 中学生なのか。
 保護者なのか。
 卒業生なのか。
 地域の人なのか。
 あるいは、全国の無関係な人なのか。

 極端に言えば、1万人に見られても志願対象となる中学生が10人しかいなければ、募集のための広報としては成功とは言いにくい。
 逆に1000人しか見ていなくても、そのうち300人が自校を検討中の中学生や保護者なら、かなり価値がある。
 数字は成果そのものではない。
 成果へ向かう途中経過である。

◆新規客を追いすぎると常連客が離れる
 もう一つ怖いのは、新しい人ばかりを取りに行こうとすることである。
 もっとフォロワーを増やそう。
 もっとバズる投稿を作ろう。
 もっと一般受けする内容にしよう。

 そうしているうちに、以前から学校に関心を持ってくれていた人が置き去りになる。
 説明会に一度来てくれた人。
 毎回投稿を見てくれている人。
 学校選びの候補に入れてくれている人。
 その人たちにとって必要な情報が薄くなる。

 これは商売で言えば、新規客獲得に夢中になるあまり常連客を失うようなものだ。
 広報は新規客を集めるだけの装置ではない。
 一度できた関係を維持し、少しずつ強くしていく装置でもある。
 学校広報では、むしろこちらの方が重要かもしれない。

◆1000PVでいい
 そんなことを考え、最近は意図的にマーケティング寄りの記事を書いている。
 すると見事にPVは落ちる。
 1万PVの記事の翌日に1000PV。
 笑ってしまうほど正直な数字である。

 だが、それでいい。
 その1000人は、少なくとも私が届けたい人たちに近い。
 一発のヒットで集まる1万人より、毎回読みに来てくれる1000人の方が、私には大切である。

 インスタもXもフェイスブックもユーチューブも、人間の自己承認欲求を実にうまく刺激する仕組みを持っている。
 「いいね」が増える。
 フォロワーが増える。
 再生数が増える。
 PVが増える。
 だから、また数字を追う。
 本当にうまくできている。

 だが、学校広報まで数字の奴隷になる必要はない。
 PVは見る。
 フォロワー数も見る。
 「いいね」も確認する。
 ただし、それに酔わない。一喜一憂しない。
 数字は目的ではなく、手段である。
 PVという麻薬に毒されないように気を付けよう。

【追記】
 今日のアイキャッチ画像は、浦高祭の門である。モチーフは日光陽明門。数日前通りかかった時、「これ当日までに完成させるの無理じゃないか」と思ったが、予感は的中した。結果的には、お客様に制作風景を見せる形となり、パフォーマンスとしては面白かった。