浦和一女が早くも塾説情報を発信しているので(3月2日発信)、お知らせしておこう。
 近年教育関係者向け説明会(通称「塾説」)を実施する公立高校が増えたが、4月というのはなかった。この早過ぎる塾説にどれだけの関係者が出席するか大変興味深い。なお、私は即参加申し込みをした。

 さて、ここからは浦和一女をはじめ、熊谷女子・川越女子・春日部女子・久喜・松山女子・鴻巣女子といった県内公立女子校へのエールである。

◆変容は「生存」か「死」か
 埼玉県ではこれまで多くの女子校(主に私立)が、共学化を実施してきた。一つの「生き残り策」ではあるが、これによって学校は活気を取り戻し、ブランドイメージが向上し、社会的評価も格段に高まったのであるから、これはこれで高く評価していいだろう。

 ただ、男子を受け入れるため、校名も変え、建学の精神や校訓を書き換え、教育目標や教育方針も修正したのであるから、女子校としては死んだのである。それにより学校としての「生存」を得た。
 繰り返し言うが、それが悪いというのではない。学校とは、今いる教職員・生徒だけのものではなく、何千・何万の卒業生や旧教職員のものでもある。そのような縁の深い人々が、「女子校として死んだとしても、学校として生存できるのであれば、それも良し」と判断したのであるから、第三者がとやかく言う権利はない。しかも、学校として新たな地平を切り開き、日々成長・発展しているのだからなおさらだ。

 では、県立女子校も、同様な道を辿るべきなのか。

◆「女子校のまま歴史を終える」という選択
 県立女子校には、ここであえて、第三の選択肢を提示したい。
 それは、共学化もせず、統合もせず、女子校としての純度を保ったまま、その役割を終える日まで走り抜けるという道である。

 女子校という環境は、異性の目を排除することで、社会的な性別役割分業(ジェンダー・ロール)から生徒を解き放つ特区であった。そこで育まれるのは、リーダーシップも、力仕事も、繊細な議論も、すべて自分たちだけで完結させるという圧倒的な主体性である。共学化という「生存戦略」を選んだ瞬間、その純度の高い教育空間は霧散し、どこにでもある「効率的な共学校」へと変質する。
 統合もまた、同様だ。別のアイデンティティと混ざり合い、薄まることで命を繋ぐ姿は、一見して合理的だが、それは創立以来の精神を半分捨て去ることに他ならない。
 今、行政や社会からは「ジェンダー平等」や「効率性」の名の下に、共学化への圧力が強まっている。生き残るための「共学化」、あるいは近隣校との「統合」。だが、果たしてそれは、本当に守りたかったものの存続と言えるのだろうか。

 「生き残る」ことだけが唯一の正解なのだろうか。
 
 もし、時代が「女子だけの教育環境」を必要としない方向へと完全に舵を切ったというのなら、無理に姿を変えてまで生き永らえる必要はない。
 最後の卒業生を送り出すその瞬間まで、地域の最高学府としての誇りを守り、「女子校」であり続けること。それこそが、これまで数多の才女を輩出してきた伝統校が取るべき、最後にして最大の矜持ではないだろうか。

◆背水の陣を敷く、その覚悟
 県立女子校が「女子校のまま歴史を終える」という覚悟を決めることは、単なる悲観主義ではない。

「私たちは共学化もしないし、統合もしない。この場所が女子教育の真髄を守る最後の砦であることに価値を置く。もし、この形が県民に必要とされないのであれば、私たちは潔く歴史の幕を下ろす」
 そう宣言する学校があれば、そこにこれまで以上に密度の濃い教育空間が生まれるだろう。
 ただ純粋に「女子教育」の極致を目指す。その覚悟に共鳴し、「ここで学びたい」と切望する生徒や保護者は、数は少なくとも必ず存在するだろう。

 社会の変化に伴い、役割を終えるものは存在する。
 かつて公立女子校が担ってきた「女性に等しく高等教育の機会を与える」という歴史的使命が、もし現代の社会構造の中で完遂されたというのなら、それは女子校がその役割を全うしたという輝かしい証左である。

 無理に延命措置を施し、別物へと変貌を遂げて生き残るくらいなら、歴史の幕引きを自らデザインする。女子校として誕生し、女子校として生き、女子校としてその終焉を迎える。そういった覚悟を決める。それは、これまでその校門をくぐってきた数万の卒業生たちに対する、学校側の誠実な回答でもあるのだ。