今から8年ほど前まで、「埼玉県公私立高校進学ガイド」という本を年1回発行していた。
 20年以上続けたが、仕事を少し整理しようと思い、廃刊とした。きれいに言えば事業の選択と集中、はっきり言えば不採算部門の整理である。

 先日、その古い本を眺めていたら、なかなか面白い記事を見つけた。
 自分で書いた記事を自分で面白いと言うのも何だが、内容そのもの以上に、20年たった今でもほとんどそのまま通じそうなところが面白いのである。
 今回紹介するのは、2007年版に掲載したコラムだ。2007年版とはいっても、実際の発行は2006年8月だから、ちょうど20年前ということになる。
 
◆20年前の公立入試にも面接があった
 若い先生方や保護者の皆さんは、もうご存じないかもしれない。
 当時の埼玉県公立高校入試は、前期募集と後期募集の2回方式だった。そして、何と面接が実施されていた。
 前期募集では、受験生が自筆の「自己PR書」を提出し、それを踏まえて面接を受けた。現在の自己評価資料と面接の関係を連想する人もいるだろう。

 もちろん、当時と現在では制度の仕組みも選抜方法も異なる。単純に同じものとして扱うことはできない。
 それでも、「書類を提出し、それを材料に面接を行う」「受験生が面接を必要以上に恐れる」「面接が合否にどの程度影響するのかが分かりにくい」といった構図は、驚くほど似ている。
 以下、当時の記事をそのまま紹介する。

~引用、ここから~
 「面接は合否に影響しない」
 公立入試では、前期にも後期にも面接がある。だが、この面接。
 「必要ないのではないか」
 という意見も出ている。
 前期は選抜資料、後期は参考資料というのが面接の位置づけである。
 それによって「選抜する」ことと、それを「参考にする」ことの間にどの程度の違いがあるのか、素人にはなかなか分かりづらいところである。
 後期の参考資料には、面接のほかに、
 ○通学時間・通学距離
 ○出欠の記録
 などが挙げられている。
 これらは、
 「第2次選考・第3次選考で参考資料とすることができる」
 とされている。「することができる」であるから、「しなくてもいい」という解釈もできる。
 ちなみに、調査書に記載されている特別活動等の記録(部活動や生徒会など)は、選抜資料である。
 後期の選考は、学力検査の得点と、調査書の学習の記録の評定(いわゆる内申点)で進められて行く。実際はこの二つでほとんど決まりと言っていい。
 それが同点なら、特別活動の記録などがものを言う。
 普通、ここまでで終わりである。が、稀にそれでもなお決まらないという場面も出てくる。参考資料の出番といったら、せいぜいそんなところである。
 このような実態であるから、手間暇かけ、受験生にも余計な負担をかけてまでやる必要はないだろうという意見も出てくるのである。
 前期の面接は、選抜資料であるから、一応A・B・Cの3段階、または5段階の評定をつける。つけるが、総合問題や内申点ほどには重視していない。
 面接はどうしても「印象」に左右される。何時間もかけ、何回も行い、多くの面接官がかかわれば、それなりに信頼度の高い評価もできようが、3人の面接官による10分程度の面接では正当な評価は難しく、結局は第一印象になる。
 だから、それほど重視しない。
 受験生諸君にしても、試験の得点や、中学校3年間の成果が、一瞬の面接でくつがえされたら「たまらん」だろう。
 面接は恐れる必要はなく、1、2回練習しておけばそれで十分というのが筆者の考えであるが、
 「適当にやっていい」
 とは言っていない。目の前にいるのは将来世話になる担任かもしれないからだ。
~引用、ここまで~

◆言っていることが今回と同じではないか
 20年ぶりに読み返してみて、思わず笑ってしまった。
 現在私は、令和9年度入試から始まる全員面接について、中学生や保護者に向けて、「必要以上に恐れることはない」と繰り返し話している。

 面接は実施される。しかも全校、全受験生が対象である。自己評価資料も提出する。面接の冒頭では「マイボイス」と呼ばれる短い発表も求められる。
 これだけ聞けば、受験生が身構えるのも無理はない。
 しかし、各校が公表している選抜基準を見れば、多くの学校では、合否を大きく左右するのは依然として学力検査と調査書の評定である。面接だけで大逆転が起きるような配点にはなっていない。
 だから私は、「そんなに心配するな」「面接のために特別な人間を演じる必要はない」「自分の中学校生活や高校でやりたいことを、自分なりに話せるようにしておけばいい」と伝えている。

 よく考えてみれば、20年前にもまったく同じことを書いていた。
 進歩がないと言えば進歩がない。
 だが、制度が変わり、時代が変わっても、面接というものが抱える本質的な問題はそれほど変わらないということでもある。

◆短時間の面接で人間が分かるのか
 面接を行えば、学力検査だけでは見えない受験生の人柄や意欲が分かる。そう説明されることがある。
 だが、本当に10分や15分の面接で、その人の人柄や可能性を正確に見極められるのだろうか。
 受験生は緊張している。面接官との相性もある。質問の仕方によって答えやすさは変わる。同じ内容を話しても、声の大きさや表情、話し方によって印象は違ってくる。
 20年前の私は、「結局は第一印象になる」と書いている。やや乱暴な表現ではあるが、短時間の面接評価が印象に左右されやすいという指摘自体は、今でも通用するだろう。

 だからこそ、面接を行う側には、評価基準の明確化と面接官の研修が必要になる。
 受験生には盛んに面接練習を求めながら、面接官側の技術についてはほとんど語られない。それでは公平とは言い難い。
 全受験生に面接を課すのであれば、実施する学校側にも、それに見合った準備と説明責任が求められる。

◆面接は軽視せず、恐れすぎず
 もっとも、面接の配点が低いからといって、適当に受けてよいという話ではない。
 20年前の記事でも、私はわざわざ「適当にやっていいとは言っていない」と付け加えている。
 面接は入試の一部である以上、きちんと準備し、真剣に臨むべきである。

 ただし、必要なのは何十回もの訓練や、模範解答の丸暗記ではない。
 自分が中学校生活で何をしてきたのか。どんなことを考え、何を学んだのか。高校で何をしたいのか。それを、自分なりに短く話せるようにしておけばいい。

 面接によって、学力検査の点数や3年間の評定が一瞬でひっくり返る。そんな制度であれば、受験生は「たまらん」だろう。
 この「たまらん」という感覚も、20年前と今とで変わらない。
 今回の入試改革についていろいろ考え、あれこれ書いてきたつもりだったが、結論はすでに2006年に出ていた。

 面接は軽視してはいけない。
 だが、恐れすぎる必要もない。

 20年たっても、言うことは同じだ。