開始時間には厳格だが、終了時間には甘く、ルーズ。
これは誰にもある傾向だ。
いや、私だけか?
決まった勤務時間などない仕事だが、それでも朝はほぼ決まった時間にきちんと会社に出る。
だが、終わりの時間は成り行き次第。
時間を守るというなら、どっちも同じように守らなきゃいけないが、始まりには厳格で終わりにはルーズ。
朝は遅刻しないために階段ダッシュで駆け上がったりするのに、不思議なことだ。
「始まりの時間を守るなら、終わりの時間もそれと同じに守ろうぜ」
働き方改革というなら、こういうところから変えていかないと。
始まりの時間にはうるさいが、終わりの時間はそこまで気にしないというのは自分だけなのかと思ったりもするが、必ずしもそうではないようだ。
たとえば。
このところ、各学校の説明会日程を収集しているのだが、さすがに開始時間を明示しない学校はない。
そりゃそうだ。
それが分からなければ、いつ出かけて行ったらいいか分からない。
が、開始時間は書いてあっても終了時間が書いてない学校がかなりある。
もちろん、内々には10時から12時までとか決まっているだろう。
まさか、その時の雰囲気でなんてことはあるまい。
校長の話が何分で、入試説明が何分でと決まっている。
でも、終わりの時間は告知しない。
しなくても滅多にクレームにはならないからだろう。
これはつまり、参加者(来場者)の方も、終了時間については開始時間ほど厳格に考えていないからだろう。
だが、多くの人が「始まりの時間を守るなら、終わりの時間もそれと同じに守ろうぜ」になってくると、「~から」だけで「~まで」が無いことがクレームの種になる。
働き方改革に寄せて言えば、仕事の終了時間についての考え方を改めることが重要だ。
朝5分の遅刻は怒られるが、夜5分の残業は咎められない。どころか、仕事熱心だと褒められる。
会議の開始時間に遅れたら「時間を守れないやつ」と非難されるが、5分延ばしてもアホ司会者とは言われない。
時間通りに来るやつが偉いなら、時間通りに帰るやつも偉い。
そういうふうになって行かないと、残業は減らんよ。
たしかに、人員と仕事量のアンバランスが大きな原因であるのだが、そこを修正しても、時間に対する考え方が改まらないと、結局はズルズルと残業することになるだろう。
よし、明日からは「~から」だけでなく「~まで」にもうるさい人間になろう。
と、まあこういうことが気になるのは、私の人生の持ち時間が少なくなったせいもあるだろう。
60代の10年間は、途中で人生が終わることは想像しなかったが、70代の10年間、つまり明日からは、途中で終わることが十分あり得るのだ。
時間が有限であることを嫌でも意識せざるを得ない。
だから、こんなことを考えるのかもしれない。
コメントを残す