参議院選挙の投票率48.8%は戦後2番目の低さ。棄権もまた一つの意思表示という面もあるが、国民(有権者)の二人に一人しか参加しない制度ってどうなのよという話だ。

 選挙の回数が多すぎる
 という意見も耳にする。
 参議院通常選挙25回、衆議院総選挙27回、合計52回。これが戦後行われた国政選挙の数である。1951年生まれの私の場合で言うと20歳で選挙権を得てから48年間で衆参合わせて33回の国政選挙を経験していることになる。
 たしかに多い。
 イギリスやフランスやドイツを調べてみたが、日本は断トツ多い。しかし、日本の選挙制度は戦後74年間、基本的には変わっていないので、回数が多すぎることが低投票率の原因だとすれば戦後一貫して低投票率であるはずだ。

 投票率を調べてグラフ化してみた。
 
 
 
 衆議院で言えば第40回(1993年)、参議院で言えば第15回(1989年)、このあたりから低落が始まり、以後かつてのように70%あるいは60%を超えることがなくなった。
 参議院選挙は相変わらず3年に1回だし、衆議院選挙は解散があるので平均して約2年8か月に1回というのも変わっていない。
 したがって、低投票率の理由を選挙の回数の多さに求めるのは無理がある。
 
 参議院議員の任期は4年か5年でいいのではないか。かつ半数ずつ入れ替えでなく全員総入れ替え。衆議院の解散も内閣不信任案可決の場合に限定してもいいのではないか。そうすれば選挙の回数は減り、経費も節減できる。
 しかし、投票率上昇にはつながらない。

 私たちは民主主義の根幹をなす選挙の重要性を子供たちに教えている。選挙については入試でも繰り返し出題されている。ご丁寧にドント式による当選者数の計算まで問うている。すなわち、知識としての政治参加の重要性は教えてきたのだ。
 だが、行動としての政治参加は教え切れていないのではないか。別にデモや集会に参加しろという話じゃなく、最低限選挙権は行使しようぜという意味での政治参加の話だ。

 教育は政治的に中立でなければならない。
 それはそうだが、「先生は昨日選挙に行って来ました」、「日曜日は仕事が入っていたので期日前投票に行って来ました」。これなら何の問題もない。
 すると、子供たちは間違いなく聞くだろう。「誰に投票したの?」
 それは言えません。家族にも言っていません。
 これでいいと思うが、政治的中立を過度に意識するあまり、有権者として当然の行動さえ口に出来ないとしたら問題だ。

 参加者や利用者がいない制度・システムは崩壊する。このことを真剣に考えなければいけない時期に差し掛かっているのではないか。