学校の決め事(校則やルール)は少ない方がいい。たぶん、学校の先生だったら誰でもそう考えているのではないか。よく、バカげた校則があるとか、意味不明のルールがあるとか言われるが、別に好きで作ってるわけじゃねえよ。
 この話、何度か書いているが、まあいいか。

 年齢が上に行くほどルールは減り、大雑把になって行く。
 ルールの数や細かさは、「小学校>中学校>高校」という感じかな。高校の場合だと、「学力低い>学力高い」というのも現実的にはある。

 小学生だと「自分で判断しなさい」とか「常識で考えなさい」というのは通用しづらいから、何かにつけて細かく言ってやらなければならない。ルールが細かく具体的になる原因だ。  
 親には判断力も常識もあるはずだから、「ご家庭で判断してください」でもいいわけだが、これをやると、学校は指導を放棄しているとか無責任だとか、そういうクレームがくる。むろん大多数の親は、「ああそうですか。では、わが家がこれで」となるわけだが、一部できない親がいて、学校が指導しろと要求してくる。くだらないとか意味不明とか言われるルールが登場する原因はここにもある。

 ネットを見ていたら上田令子という都議会議員(江戸川区選出)が、水筒の中身まで学校が指定するのは子供無視であると、わざわざ記者会見までしたというニュースが載っていた。喜多明人という早稲田大学文化構想学部教授も同席していた。子どもの権利とかをやっている人みたいだ。
 今日の話題はこれがきっかけだ。

 学校のルールなんてものは、だいたいが少数派のために存在するものなんだ。常識の範囲内としておけば、多少の幅はあるものの、だいたいはその範囲に収まる。だが、中には常識や判断力に欠ける一部少数派というのがいるわけで、そのために詳細で具体的なルールを決めざるを得なくなる。
 おそらく学校の先生は、こんなことまで学校が決めなきゃいけないのか思いつつ、水だけ、水とお茶だけ、氷無し、容量は1リットルまで、容器は象か虎などと決めているんだろう。そもそもの始まりが熱中症対策だったりするわけだから、考えりゃわかるだろう。
 と思いつつ、仕方なくルール化し文字化すると、今度は人権無視だと騒ぎ出す輩が出てくる。

 学校の先生は忙しいんだよ。登下校の安全とか、災害時対応とか、もちろんいじめ対応とか、細かくやんなきゃいけない問題がいくらでもある。水かお茶かなんてことは「各ご家庭でご判断ください」だよ。ほとんどの先生はそれで済ましたいと思ってるんじゃないのかな。決めないと無責任、決めれば人権無視じゃ体も壊すよな。