「ほとんどの親は、『うちの子学校でいじめにあっていないかしら?』と心配はしても『うちの子誰かをいじめていないかしら?』とは心配していない」。
これは当ブログ10月20日付「いじめっ子は誰が作ったんだ…」に寄せられたコメントの一節なのだが、なるほどねと感心した次第。
たしかにほとんどの親が、自分の子がいじめる側に回っているなどとは想像していない。
「だってうちの子、優しい性格だし、どっちかと言えば気が小さい方だからいじめられることはあっても、いじめる側に回るなんてありえない」。
いやいや、そうじゃない。
弱い者ほど徒党を組みたがるんですよ。誘いを断れないんですよ。抜けられないんですよ。大人の世界を見たってそうでしょう。
強い=いじめる側
弱い=いじめられる側
何となくこんな構図を描いてしまうが、弱いからこそ、いじめる側に回ってしまうことだってある。だから、「うちの子誰かをいじめていないかしら?」の視点も持っておいたほうがいい。コメ主氏は、たぶんそのように仰りたいんだろう。
また、コメ主氏はこうも指摘されている。
「いじめられっ子の数よりいじめっ子の数の方が圧倒的に多い」。
とすれば、わが子がいじめられる側に回る確率よりも、いじめる側に回ってしまう確率の方が高いわけで、その意味からも「うちの子誰かをいじめていないかしら?」の視点が必要なのである。
示唆に富んだご意見を寄せてくださったコメ主氏に感謝します。
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