スマホを電話だと思ってるヤツは手に負えんな。いや、たしかにスマートフォンであるから電話には違いないが、今やその他の用途で使ってるほうが圧倒的に多いだろう。どっちかと言うとPC寄り。
 先だって都内でちょっとした打ち合わせが2件ほどあった。相手は一方が70代で、もう一方が60代後半。一応スマホは持っている。っていうか、今どきガラケーを手に入れるほうが大変だ。

◆情報源がテレビと新聞だけの人
 ぎりぎり使えるのがショートメッセージ。
 検索してみてよ。「ナニそれ?森田健作なら知ってるけど」
 YouTube見る? 「見たことない」
 LINE、Twitter、Facebookやってる? 「それで何するの」
 いや、何するのと言われても困るけど、逆にどんな生活してるのよ。Amazonや楽天で買い物しないの。ホテルや列車の予約はいちいち窓口行ってるわけ。小銭ジャラジャラ持ち歩いてるわけ。
 実に困ったものだ。令和の時代を昭和で生きる人々。オマエラ平成に何してた。

 で、究極の困ったは、かれらの情報源がテレビと新聞であること。せめて本でも読めよと言ったら、金がかかる。じゃあ、kindle読み放題にすればと思うが、説明が面倒になるだけだ。
 コロナのことも、アメリカ大統領選のことも、安倍首相退陣のことも、全部テレビや新聞が言ったり書いたりしているのと同じ。すっかり洗脳されている。
 オマエはテレビ見てないのになぜ分かる?
 そりゃあネット見てればテレビが何やってるか分かるでしょうよ。

◆年寄りが昔話に興じる理由
 私は決して時代のトップランナーではない。さすがにそこは自覚している。と言って、周回遅れというほどでもない。
 彼等との差はどこで生じたか。
 そこを明らかにしておくと、読者である私より若い世代の皆さんの参考になるかもしれない。

 冒頭の彼等とは若い時、と言っても40代だが、そのころからの付き合いだ。
 当時それほどギャップは感じなかった。しかし、60代に入ったあたりから、どうも話が合わんなと思うことが多くなった。ただ一つ、昔話だけはコミュニケーションが成立する。今日の話、明日の話では言葉も体験も共有できない。年寄りが集まって昔話に興じるのは、それしか方法がないからだ。

 このブログの読者の皆さんは、「スマホ=電話」とは思ってはいないはずなので、その点は安心だ。しかし、油断すると世の中とのズレは加速度的に拡大して行く。

◆好奇心を失わないということ
 よく若い人と付き合ったほうがいいと言われる。
 が、それも一つの方法という程度であって、私の経験に照らすと絶対的なものではない。若い人とは育った環境や受けた教育が違い過ぎて、比較自体が困難だ。
 むしろ、比較的近い世代、できれば少し上の世代で若さや好奇心、チャレンジ精神を維持している人と付き合ったほうが、彼我の違いが明確になる。

 好奇心やチャレンジ精神は遺伝子とも関係しているという説もあるようだが、後天的な要素も大きいだろう。
 好奇心は肯定的にとらえられることが多いが、それは探究心として発揮された場合である。しかし、好奇心は時に衝動的であり、無秩序であり、無計画でもある。
 我々は年齢を重ねるにつれ、好奇心のマイナスの発露がもたらす数々の手痛い失敗を経験する。そして、いつしか好奇心を手放す。もちろん探究心も。

 心理学者でもないのに偉そうなことを書いているが、好奇心は若さを保ち、脳の衰えを抑え、世の中とのズレを最小限に食い止めるための武器だ。それには、好奇心の持つ負の部分をある程度許容しなければならない。
 というわけだから、私は衝動的に、無秩序・無計画に生きるのだ。