例年のことだがお盆休み入るとアクセス数がガクンと落ちる。
みんなお休みモード。
大変結構なことだ。
が、私は休まない。
毎日投稿9年目に入っているので最低でも区切りの良い10年は続ける予定だ。
誰もそんなことは望んでいないのは明らかだが、途中で挫けるのは癪だ。
どんなに下らん話題でも続けるつもりだ。
で、下らん話題と言えば、これがピッタリ。
【賛否】夏休み「自由研究」いらない
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000264799.html
(グッド!モーニング2022年8月12日放送分より)とあるから、ワイドショーネタだ。
下らなさ100%。
(※記事にリンクを貼ろうとしたが、それをやるとこのブログ自体がなぜか不具合を起こす)
番組ではまず、SNS上では子供を持つ親から「要らない」という声が上がっていると問題提起。
この「SNS上で云々」というのは、最近のテレビワイドショーの定番だ。
取材せず、スマホ見てるだけでネタが集まるから経費節減には持って来いの方法だ。
今回は、「夏休み」「自由研究」ということで、季節ネタとしてもお誂え向きだ。
番組で独自に調査したところ、およそ8割近くが「自由研究は必要」と答え、残り2割が「要らない」と答えたという。
この「独自に調査」というのも定番だ。
アンケート調査等には一応決まった方法論があるわけだが、「独自」というのは、そうした一般的な手法には依っていないということを言っている。
つまりは適当に、自分たちがやりたいようにやったと白状しているわけだが、聞いている方は「調査」の方に気を取られて、「独自=テキトー」に気が付かない。
そのテキトーな調査の結果でも必要が8割と圧倒的であるから、この場合、賛否が割れているとは言わない。
本当なら「賛否割れる」「賛否分かれる」としたいところだが、さすがにこの数字ではこうした見出しは付けられないので、【賛否】などという意味不明な見出しを付ける。
【賛否】としておけば、賛否が分かれているんだろうと勘違いしてくれる人もいるだろうという魂胆だ。
と、ここで終わってしまっては、教育ブログらしくないので、ちょっとばかり本気を出して自由研究問題を考えてみよう。
調べるのが大変。
書くのが面倒。
テーマが見つからない。
まあ、そういう子もいるだろう。
が、だからこその自由研究なのだ。
自分で問いを発することができる子を育てなければいけないのだ。
調べて、考えて、まとめて、発表できる子を育てなければならないのだ。
いま日本の教育が目指している姿。
それが集約されているのが自由研究なのだ。
今こそ自由研究。
ドリルはいいから自由研究。
漢字や計算なんて、また学校が始まってからやればいい。
研究だからと言って、別に難しいことはやらなくてもいい。
自由に重きをおいた方がいい。
本をたくさん読んでもいい。
詩を作ってもいい。
作詞作曲してもいい。
絵を描いてもいい。
モノを作ってもいい。
動画を作ってもいい。
好きなことに挑戦してみなさい。
だから、そうだな、いっそ「自由研究」じゃなく「夏休みチャレンジ」とか、そんな名称にしたらどうだ。
(もう、なってるかもしらんが)
番組では、要らない派から「親の自由研究になってしまう」という意見が出ていると紹介していたが、それでいいよ。
それが出来る環境があるなら、一緒にやればいい。
この夏の作品は、親子で協力して作りました。
それでも結構。
好き勝手にいろんな作品を持って来られては、先生の方も大変だが、「ゆるーく」評価すればいいんじゃないの。
面白いね。
よく調べたね。
よく作ったね。
いいとこに目を付けたね。
「夏休みチャレンジ」の評価は、そこまで。
でも、それで子供たちは十分満足を得られるだろうし、次への意欲にもつながる。
追記
いったん公開したが、なぜか文章が途中で切れていることが分かり、再アップした。
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