何か間の抜けた記事だね。
三連休でネタがなかったのか。
あるいはまた、新手の学校批判キャンペーンでも始めようというのか。
「そろそろ座る?」、子供の自主性養うノーチャイム制が広がる…試験導入で課題も(読売新聞オンライン、9月24日)
まあ、どっちでもいいんじゃないの。
ノーチャイム制の方が時間管理がしっかりできる生徒が育つというような研究結果があれば別だが、あまり聞いたことはないし、だから、どっちでもいい。
まあ慣れの問題だ。
ノーチャイムの歴史は割と古い。
一例を挙げれば、埼玉県立芸術総合高校だ。
学校の特色に、単位制、二学期制などと並べノーチャイム制を挙げ、次のように説明している。
「ノーチャイムなので、自分の時計で行動することになります。しっかりと時間を管理できることが必要です。」
2000年(平成12年)開校以来だから、もう20年以上になる。
この学校の場合、学科の特性として2時間続きの実習が多いので、合間のチャイムはうっとおしいという理由もありそうだ。
しかし、20年経った今でも特色として謳っているところを見ると、少数派ではあるのだろう。
みんながそうなったら特色ではなくなる。
記事の中に、こんな記述があった。
「生徒がトイレや廊下にいる同級生らに『もうすぐ授業始まるよ』と声掛けする文化が生まれた。クラス全体で時間を守る意識が浸透していた。」
愛知県刈谷市の公立中学校の事例というが、これも何だか気持ち悪い。
第一、そういうの自主性と呼ぶのか。
先生に指示命令されなくてもというのは結構だが、自分で判断して行動しなきゃ。
また、こんな記述もあった。
「ノーチャイム制は教員にも好評だ。中川佳彦教頭は『授業のまとめなどを話していても終わりのチャイムが鳴ると子供は集中力が切れてしまう。ノーチャイムだと、キリが良い所で授業を終えられる』と話した。」
おいおい、先生自身が時間を管理できてないじゃないか。
授業は50分なり45分なりの時間内にピタッと終わらせろよ。
ここでちょっと余談。
教員時代、「いま30分経ったな」「あと5分だな」というのは時計を見なくても分かった。
現役の先生方はみんなそうだと思う。
最後の微調整はさすがに時計が頼りとなるが、とにかく着地はピタッと止める。
それが職人の技ってものだ。
生徒の方は、教室の移動や着替えもあるわけだし、たとえ30秒でも終わりが遅れたらいい迷惑だ。
生徒からアンケートを取ると「時間通り始めて時間通り終わらせろ」という意見が多い。
話を戻す。
要はチャイムに促されなくても、自分で時計を見て行動できればいいということだろう。
だが、チャイムがあろうがなかろうが、着席して準備している子はしているし、いつまでもウロウロしている子もいる。
ノーチャイム制は未だ学校の特色アピールとしての価値はあるものの、自主性の育成という点での効果はあまり期待できないのではないかというのが、今のところの結論である。
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