年寄りは電車で席を譲られたら、その好意を有難く受けるべきだ。
 つい先日も高校生男子に席を譲られた。
 浦和から上野まで19分。立ったままでもどうってことはない。
 見てくれは白髪の爺だが、足腰は丈夫だ。

 しかし、ここで私が「大丈夫です」と断ったら、せっかく立ち上がった少年も気まずいだろう。
 文字通り立つ瀬がないというやつだ。
 ここは素直に好意を受け取ろう。
 そうじゃないと、この少年は次に同じような場面に遭遇したとき躊躇するかもしれない。
 もしかしたら昔の私のように寝たふりをするかもしれない。

 でも、目の前に立つ老人が本当に足腰が弱っていたらどうだろう。
 「譲ってくれないかな」とか、「このガキ、若いくせに座ってやがって、敬老精神ってものがないのか」と思うかもしれない。
 元気な年寄りが、若者の好意を素直に受け取らないと、巡り巡って元気じゃない年寄りに迷惑をかけることになる。

 自分は電車では座らない主義なのだ。
 くだらん主義だと思うが、そういう年寄りもいるだろう。
 だが、人生経験豊富な年寄りであればこそ、ここでは自分の主義はさておき、まず若者の勇気を称えるべきなのだ。
 てめえの主義主張を通すことより、全体の幸せを優先すべきなのだ。
 それが長いこと人間をやって来た者の務めなのである。

 電車の中では立っていた方が健康に良いと信じている年寄りもいる。
 これについては、かねてから「駅は運動場じゃねえぞ」が私の考えなので、同じく「車内はスポーツジムじゃねえ」と言っておこう。
 体を鍛えたければ、別の場所で別の方法でやんな。
 だいいち、車内で立ってることがトレーニングという時点で年寄りが確定してるだろう。
 急ブレーキかかって、真っ先に倒れるのはお前だ。
 座れるときは座るのが身のためだ。
 いざという時、周りに迷惑かけないためにも、そうしたほうがいい。

 席を譲られたとき、年寄り扱いされたと憤慨する人もいるようだ。
 が、譲ってきた相手が中学生や高校生、あるいは大学生だったとしたら、彼らから見て50代、60代は立派な年寄りだ。
 そう見えているのだ。

 人は、自分より年下についてはだいたい年齢を推測できる。
 自分もその年齢を経験してきたからだ。
 だが、年上についてはまだ経験していないのでよく分からない。
 若者にとって、自分以上は大人と年寄りという二つのカテゴリーしかないのだ。
 10歳上くらいまでが大人で、20歳以上となると全部まとめて年寄り。

 そういう未熟な若者から年寄り扱いされたといちいち落胆したり、憤慨したりしているようでは情けない。
 
 「どうぞ」と席を譲られた時、道を譲られた時、順番を譲られた時。
 「ありがとう」と言って、その好意を素直に受け取ろう。
 そうすると、「どうぞ」と譲る人がどんどん増えて、本当に困っている人の助けになる。