タイムパフォーマンス、略して「タイパ」。
 これ、2022年の三省堂新語大賞、第1位となった言葉である。
 コストパフォーマンス(費用対効果)に引っかけて作られた和製英語で、純日本語で言えば「時間対効果」ということになろう。

 便利なものがたくさん発明され、その分ゆとりが生じたかと思いきや、むしろ時間は足りず、さらなる時短を求める。
 若い人は映画なども早送りでみるようで、「倍速視聴」という言葉も生まれている。
 これはもう映画鑑賞とは言えない。
 単に映像を消費しているに過ぎない。
 または、映像情報を処理しているだけ。

 鑑賞ではなく消費と考えれば、たしかに短時間で多くを消費できたほうがお得だ。
 また、単なる映像情報の処理と考えれば、処理スピードは速いほうがいいだろう。

 「あの映画、見た?」
 「ああ、見たよ」
 となるまでに3時間かかるのではタイパが悪すぎる。
 友だちとの情報交換にもついていけない。
 だから、ここは30分に短縮しなければならない。

 作品を味わうって、何それ?
 味なんて、どうでもいい。
 食ったかどうかだけが問題なんだから。

 時間をかけることは悪、時間をかけないことが善。
 という悲しい現象がいま目の前で起こっているのである。

 もっとも、こうした風潮はいま始めて起こったというわけではない。
 「〇〇を1か月でマスターする法」みたいなものは昔からあった。
 それが週になり、日になり、時間になり、さらに分になり秒になっただけとも言える。

 費用対効果だけで考えてはいけないものがあるのと同時に、時間対効果だけで考えてはいけないものもある。
 経験の少ない若者たちに、その区別はつかないだろう。
 だから、われわれ大人が(学校においては先生が)、しっかり教えてやる必要がある。

 「もっと早くやる方法ないんですか?」
 「いや、これは時間をかければかけるほどいいんだ」
 そう言って彼ら若者に通ずるかどうかは分からん。

 スルメを噛まずに飲み込んでも、スルメを食ったことにはなるが、スルメを味わったとは言えない。
 絵画を3秒眺めれば、見たことにはなるが、観たことにはならない。
 
 タイパを最高位に位置づけるということは、時間がご主人様で、自分らはその奴隷ということになりはしないか。
 時間を長くも短くも、好きなように使い、時間を支配すべきなのだ。
 そういう人間を作ることもまた、教育の重大な使命である。