ずいぶん昔の話になる。たぶん20数年前のことだ。
 会社は設立したものの、これといって仕事がなく困っていた私は、「学校の危機管理セミナー」というものを思いついた。
 
 学校に限らず組織に不祥事は付き物である。
 不祥事は大小さまざまである。
 法に触れ刑事事件に発展するものもあれば、法的には軽微であっても「けしからん」と大騒動になるものもある。
 近年はSNSなどが発達したせいもあって、世間から「けしからん罪」で糾弾されるケースが増えているが、それはまた別の話だ。

 話を戻すと、当時私は、不祥事発生時における記者会見の仕方にスポットをあてたセミナーを開こうとした。
 実際に開いた。
 一流の講師を招いて。

 が、人が集まらず撃沈した。
 昔はそんなのばっかり。

 記者会見には新製品発表のような明るいものもあるが、ここではもちろん謝罪会見の開き方だ。

 どのタイミングで開いたらいいか。
 誰にどのように知らせたらいいか。
 場所はどこで開いたらいいか。
 時間は何時ごろで、長さはどれくらいがいいか。
 出席者は誰と誰がいいか。
 誰が発言したらいいか。
 どんな資料を用意したらいいか。

 といったことから始めて、想定問答の練習まで、自分なりに結構考え抜いたセミナーにしたつもりだったが、考えが甘かった。
 いつかもう一度チャレンジしようと思いつつ四半世紀が過ぎた。
 もう、いいか。
 誰か若い人がやってくれるだろう。

 謝罪会見で重要なのは、言うまでもなく徹底的な謝罪だ。
 自分自身に非がない場合でも謝罪は必要だ。
 最低でも世間を騒がせたことを詫びなければならない。

 よく揃って頭を下げている場面をニュース等見かける。
 目の前にいるのは記者とカメラマンだけで、彼らに頭を下げる義理はないのであるが、その向こうに世間があるということになっているので、これは欠かせない儀式のようなものだ。

 記者たちは失言を引き出そうとあらゆる手段をとってくる。
 わざと乱暴な物言いをし、挑発する。
 彼らも普段は紳士淑女で、家に帰ればいいお父さんやお母さんだったりするわけだが、ここでは仕事の鬼と化す。
 ちょっとでも言い訳めいた発言をすれば、ここぞと責め立ててくる。
 最近の言葉で言うアンガーマネージメントに長けていないと、この場をしのげない。

 謝罪は責任問題と表裏一体である場合が多く、そこが難しいところである。
 謝罪することと、責任をとることとは本来別問題であるが、記者たちはそこを突いて来る。
 しかし、自身を含む関係者の処分は、人の人生を左右する問題であり、その影響は何の落ち度もない家族にも及ぶのである。
 地位や名誉、財産や収入、人間関係。余程の重大犯罪ではない限り、それらすべてを取り上げる権利は誰にもないわけである。
 残せるものは何か一つでも残してやるという態度も必要だろう。

 最近話題のジャニーズ問題。
 芸能関係には疎く、また関心も特にないのだが、二度にわたる記者会見はYouTubeで見た。
 1回目より2回目の方が数段、仕切り方も受け答えも良かったように思う。
 たぶんプロの徹底したアドバイスの効果だろう。