これに類する話は以前にも何回か書いた。
読まれるも読まれないもタイトル・見出し次第。
朝、SNSを見ていたら、知り合いが「〇〇高校に行ってきました」というタイトルで記事を書いていた。
私はすぐさまLINEで「小学生の遠足作文か」と言ってやった。
黙っていてもいいのだが、期待をかけているからここは放置するわけには行かない。
「今日は東武動物公園に行ってきました」と変わらんじゃないか。
読まれたいなら、ちょっとは頭ひねれよ。
マスコミ界では、記事を書く人とタイトル・見出しをつける人は別人なんだ。
つまりタイトル・見出し付けは専門職。
それほど重要ということだ。
本のタイトルもそう。
小説なんかはタイトルも作品の一部ということで著者の領域に属すると考えられているが、ビジネス本の多くは著者の意向に関係なく編集側、出版社側が勝手につける。
時には書名タイトルが先にあって、そこから執筆が始まる。
◆読者の新陳代謝が必要
読者は絶えず入れ替わっている。
このブログもそうだ。
一定期間読者であっても、仕事が変ったり、立場が変わったりすると読まなくなる。
あとは、「飽き」かな。
年中同じような話だと誰だって「飽き」がくる。
だから、常に新しい読者を求めていないと減る一方だ。
読まなくなる人以上に、新たに読み始める人を獲得する。
これはブログでもSNSでもYouTubeでも同じことだろう。
それには検索エンジンなどで拾われることも必要で、だからタイトルは大事なのである。
◆学校は1年で読者が入れ替わる
個人ブログでもそうだから、学校ホームページやSNSなら尚更だろう。
大げさに言えば、1年ごとに読者がそっくり入れ替わる。
学校ホームページやSNS担当者は、私以上に新陳代謝を意識しなければならないのだ。
学校広報という広い視野で考えれば、卒業生や地域の人々など長く愛読してくれる人もいるだろうし、また、そういう人を大事にしなければならない。
だが、受験生は受験が終わったら、もう見ない。
◆有名人じゃないんだぞ
私たちは、いや私は世間的には無名の人である。
タレントなど有名人だったら、どこへ行った、何を食ったでも読んでもらえ、見てもらえるだろう。
その人に興味があるからだ。
その人のことは何でも知りたい。
だが、無名の人がどこへ行こうが、何を食おうが、誰と会おうが、そんなことに反応するやつなんぞいるもんか。
「〇〇高校に行ってきました」
そうですか、それはご苦労さんでおしまい。
だから記事の中身で勝負する。
そこに誘導するのがタイトル・見出し。
タイトル・見出し付けは才能の問題もあるかもしれないが、才能が無いと思うなら、あとは練習しかない。
◆関連記事
似た記事は何本も書いているが、代表的なのはこの二つか。
学校WEBサイト、読まれる新着記事はタイトル次第(2020年9月6日)
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